説教              

              

 

        


 

「畏敬、感謝、奉仕」

信仰とは常に危機と困難に直面する。それらを克服する道は何か?個人の頑張りや努力ではないことは言うまでもない。何よりも主の恵み深きを知ること、究極は神への信頼である。それについてヘブライ書の著者は、モーセとキリストを例にした論法を展開する。

シナイ山は元来モーセのおきてが神の言葉として民に与えられた場所であり、それに対して、シオンの丘はキリストの祝福が民に与えられた場所である。シナイとシオンの神の恵みの違いを表現する論法である。この手紙の趣旨は、キリスト者への神の恵みが約束された祝福、やがて天の国に迎えられる栄光を語る。それは集まり、交わりを意味し、神の家族の絆で結ばれることを意味している。つまり教会の交わりを示唆しているのである。

シナイ山が表わすのは「恐怖」であるがシオンの丘が表わすのは「神の安息」である。シオンの丘の表わすものを箇条書きにすれば、 ①生ける神の都、 ②天のエルサレム、 ③多くの天使らの祝いの集まり、 ④天に登録された長子たち、 ⑤すべての人の裁き主、 ⑥完全なものとされた人たちの集まり、 ⑦新しい契約者としてのキリスト、 ⑧穢れた血によりキリストの清い地、となろう。しかしこれが天の国の全貌ではない。われわれは「終の棲家」という言い方をするが、これは仮の住まいというべきであろう。地上は仮の住まいに過ぎない。こうして神がやがて完成される新しい秩序の永遠性と堅固さが明確にされる。永遠の命とは、キリストを知ることです。これがやがて来る天の国の内容です。

そういうわけですから信仰者の生きる道はキリストと共に歩むことですが、具体的には、感謝、畏敬、仕えることです。われわれはイスラエルの民のようにシナイ山の前の恐怖、逃げ腰の姿勢ではなく、希望と喜びにあふれる神賛美、感謝の姿勢で人生を生きる。礼拝者として民の共同体を生きていく。シオンの丘の礼拝者として。(名護良健)


2013.6.23 「目の涙をぬぐいなさい」 エレミヤ書31:10~17

~沖縄慰霊の日を覚えて~

本日、68回目の「沖縄慰霊の日」を迎える。長い年月が経過しても戦争の悲しみはぬぐえない。毎年、平和の礎に刻まれた名前をさすりながら涙するお年寄りの姿が映し出される。生きていればどんな人生であったであろうかと、家族のものであれば思い描くものである。無残にもたたれた命に無念さが残る。戦後、その悲しみをぬぐう努力はなされてきたのか?

沖縄の人々は、戦後、自ら涙をぬぐおうとした。琉球の芸能文化を取り戻し、歌や三線(カンカラ三線)、踊りや芝居を復活させ、一生懸命に笑おうとしている。戦を忘れて前を向こうとしていたのであろう。そのためか、沖縄戦の悲劇を歌う民謡が少ない。その中で昨日、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌碑が読谷村に建立した。この民謡の作詞、作曲者は比嘉恒敏さんで1971年に完成し娘たちの「でいご娘」が歌う。

(一番) 若さる時(とぅち)ね 戦争(いくさ)ぬ世 若さる花ん 咲ちゆさん 家(やあ)ん元祖(ぐわんす)ん 親(うや)兄弟(ちょでー)ん 艦砲射撃ぬ的になて 着(ち)るむん喰(く)ぇむん むるねえらん スーティーチャー喰(か)で暮ちゃんや ※うんじゅん 我(わ)んにん 汝(いや)ん 我んにん 艦砲ぬ喰ぇー残(ぬく)さー

(五番)  我(わ)親(うや)喰(く)わたる あぬ戦争(いくさ) 我島喰わたる あの艦砲 生りて変てん 忘(わし)らりゅみ 誰(たあ)があぬ様 しいいんじゃちゃら 恨でん悔でん あきじゃらん 子孫末代 遺言(いぐん)さな

リズム的には明るさがあるのだが、しかし歌詞の内容は重い。これが沖縄の自ら涙をぬぐう姿のように思う。しかし戦争を起こしたこの国は、沖縄の涙をぬぐうどころか、今や再び戦争の出来る国に戻ろうとして、日本国憲法改訂に動いている。歴史を顧みない国は悲劇を繰り返す。この時代であるからこそ「艦砲ぬ食ぇー残さー」の歌詞をかみ締め歌う必要を覚える。比嘉恒敏さんは、父と長男を対馬丸で亡くし、妻と次男を空襲で亡くす。戦後再婚して4人の娘に恵まれるが、1973年大山ゲート前の近くで、米兵の飲酒運転の車に衝突され、恒敏さん夫妻が亡くなっている。最後まで米軍に幸せを奪われた。この曲は恒敏さんの「遺言」としての意味は深い。

主は、戦争で息子を奪われ、廃墟にたたずむ母たちを見ている。嘆き苦しむ民を見ている。≪泣き止むがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる≫と主は言う。それは、廃墟とされたこのパレスチナの地に主イエス・キリストは立たれるからだ。廃墟に立つ主は、沖縄の悲しみの涙も“ぬぐいなさい”と言っている。それは、沖縄の現状に向き合い、戦争の悲劇を二度と起こしてならないために平和を築くことが、“目の涙をぬぐう”ことに繋がるのではないかと思う。(神谷武宏)


2013.6.16 「今日から明日へ」 ミカ書4:1~4

まず最近この国の時論から見えてくるものから見てみたい。歴史に人間を読み取るということであろう。あるいは日本人を読むということでもあろう。あるいは日本人を読むということでもあろう。何と言っても、われわれ今の日本人のことであるから。戦後68年経過しても隣国祖国とのいろんな問題が未解決のままである。同じ敗戦国であり、日本とは同盟国であり、第二次大戦をイタリヤと共に戦った国であるが、ドイツは戦後、機会あるごとに迷惑をかけた国に対して時の指導者が例えば、ナチの強制収容所へ出向き犠牲者へ土下座して謝罪している。その後、ドイツへの批判はほとんどないといわれるが、日本への批判は相変わらず厳しい。領土問題もあるが、歴史認識問題と謝罪は不充分と批判されている。これはドイツと日本の文化の違いもあるが、心の問題であろう。

「建国記念の日」制定からあれよあれよというまに元号法制化、国旗国歌の法制化、靖国問題、最近の天皇の元首化、自衛隊の国防軍化、憲法改正問題まで来ている。さらに追い打ちをかけるように慰安婦問題が出てきた。その間、国民の間での議論は進む気配はない。政権党の思うままである。国民は鈍感になっているのでしょうか。

この国の近現代史を見れば、国の歴史を今日から明日へという気概がないか、その心がないのであろうか。そこで預言者ミカから学びたい。今日のこの国を国民主権と平和国家を目指すことを重んじ歴史認識で近隣諸国に信頼感を得ることが大事でしょう。国防軍なんて言わずにですね。60年安保世代は、あの日本赤軍のことを連想してしまいます。右も左もないですから。

ミカは言います。「主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向って剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。ここに人類の永遠不朽の理想国家が描写されています。(名護良健)


2013.6.9 「神の御心を求めて」 エレミヤ書28:1~17

前598年エルサレムはバビロンの王ネブカドネツァルの攻撃を受け、陥落する。 ユダ国の王ヨヤキムを始めとする国の上層階級の人々が強制連行(捕囚の民)されていった。そしてバビロン王は、ユダ国を統治下に置きながら、ヨヤキムの代わりにゼデキヤをユダ国の王に擁立した。ユダ国としては、なんとか首の皮一枚つながったことになるが・・・。その状況を踏まえて今日の箇所となる。

このような社会情勢の中で“希望”の言葉を預言する人々がいた。その中のハナンヤはすべての民の前で言う。「主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く。二年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。また、バビロンへ連行されたユダの王、・・・ユダの捕囚の民をすべて、わたしはこの場所へ連れ帰る」(28:2-4)と語る。それを聞いた民は安堵感と期待を寄せたことであろう。しかしその後、ゼデキヤ王は、バビロンに反旗をひるがえし、エジプト国に援軍を求めた結果、バビロン軍の交戦により、帰還するどころか結局ユダ国は完全に滅亡してしまう。

エレミヤは、ハナンヤの語る“希望”の言葉は、神の御心を求めないで、民の心の満たしに傾いてしまったことを見抜いていた(15節)。もちろんエレミヤも「捕囚の民すべてをバビロンからこの場所に戻してくださるように」(6節)と願っている。しかし現状はそうはならないことを感じていたのであった。神の言葉を聞くということは、神の御心を求めていくということである。神の言葉のいいとこ取りであってはならない。ハナンヤの預言は、結局民を喜ばせるための「御利益宗教」に走っていたのである。  それに対しエレミヤは、国の滅亡に向う現状の十字架を負ったのである。

神の御心を求める・・・ということは、「御利益宗教」には成りえない。御利益宗教は“家内安全”、“商売繁盛”とあくまでもこの世の人生の成功、人間の満たしである。 それに対し、神の御心を求める信仰は、この世の成功とは異なることがある。そのことを受け入れていくことが、神の御心を求めていく信仰である。ボンヘッファーはそのことを「安価な恵み」と「高価な恵み」に分けている。それは一言で言えば、十字架の無い恵みと十字架を負う恵みである。(神谷武宏)


2013.6.2「若者にすぎないと言ってはならない」 エレミヤ書1:1~13

エレミヤが預言者として立つのは、ヨシヤ王の13年目のことで紀元前626年のこと。北イスラエルは既に滅び、南ユダもアッシリア帝国の支配下にあった。しかしそのアッシリアも国力を失いその後力をつけたのがバビロニア帝国であった。そして常に南の大国エジプトとの覇権争いが起きる。その中で結局、ユダ王国はこのバビロニア帝国に滅ぼされ、民の多くが捕囚の民として強制連行された。エレミヤは「神の裁きがユダに来る」と預言し、実際に国の滅亡(バビロン捕囚)を見る。愛する祖国を救うために立たされ、最終的には祖国滅亡を見た悲哀の預言者。また涙の預言者とも言われている。

そんなエレミヤも神からの召命を受けた時には、自らの弱さにひるむ姿をあらわにする。「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」エレミヤは、自分が“預言者”などと大それた、そんな力や知恵などどこにあるのかと思った。「若者にすぎない」とは経験が十分でないという謙遜の意味でもある。 そのこと自体は悪い事ではないが、しかしここでは、神を見ずに、自分を見て恐れる  エレミヤの姿があった。出エジプト記に記されているモーセの出来事ともよく似ている(出エジプト4:10,11)。神がモーセに語った時「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。・・・全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」すると神は「一体、誰が人間に口を与えたのか。」と言われた。

エレミヤは、「若者にすぎないと言ってはならない。・・・わたしが命じることをすべて語れ」と神の代弁者、預言者となる。神の言葉を聞いた中から選択して語るのではなく、「すべて語れ」というのである。11,12節で主の言葉がエレミヤに臨んだ。「アーモンドの枝が見える」とは「目覚めの枝」という意味で、神ご自身が「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている(ショーケード:目覚めた)」。神は目覚めたということになる。何にか? 次に「煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています」とは、北から襲来するバビロニアに滅ぼされることを意味する。このことは、神がユダ王国を滅ぼすことに“目覚めた”ということになる。

エレミヤは神の言葉を“すべて語”らなければならなかった。涙無しには語れなかったのである。時の権力や世の人の前で語ることは、時に誤解され、迫害され、苦しめられたりする。私たちも神の御言葉に立つ預言者の一人、キリストの証人として召されている。「若者にすぎないと言ってはならない」との主の言葉に向き合いたい。(神谷武宏)


2013.5.26「ヒゼキヤとイザヤの祈り」 イザヤ書37:1~7

イザヤ書37章の舞台は、圧倒的な軍事力を持つアッシリア帝国が、小国であるユダ国を今にも滅ぼそうとしている状況にある。周辺を何万という兵士と戦車と武力を持って取り囲み、まさに籠の鳥でもあるかのように閉じ込めた状態であった。でもアッシリア軍は一気に攻め落とそうとはしない。そこにはしたたかな戦略があった。地理的アッシリアは東にあり、ユダ国は西にある。更にその西には、大国エジプトがあった。エジプト寄りであったユダ国を生かすことにより、この地域を“緩衝地帯”として利用することを考えていた。エジプトとの緊張関係の緩和地域、戦争突入の壁、捨石としての価値を見た。

ヒゼキヤ王は、「衣を裂き、粗布を身にまとって」神の前で祈る。ここには現実の置かれた状況と“神”という見えない信仰との狭間に身を置く、ヒゼキヤの姿がある。この緊迫した現状の中では“祈り”の前に何か現実的な対策を考えるものではないだろうか。アッシリアと対立しているエジプトに助けを求めることは可能であった。また、国中の人々に総動員命令を出し戦いの準備をさせるとか。しかし、ヒゼキヤは先ず神の前に出て、心砕かれ神に祈るのであった。3節≪今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない≫とは、ヒゼキヤにとって国中の人々の命が、この国の行方が一切自分にかかっている。どう判断をくだすのかによって命が左右される。この「胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない」とは、私一人の判断はできない、イザヤに私のために祈って欲しい・・・という王としての威厳、プライドを捨てている言葉、姿である。このような王は、弱腰で決断力の無い王だと思うものか?

今年も6月を迎え68回目の「沖縄慰霊の日」が近づく。沖縄戦の悲劇は、民間人を含む総動員による戦争がより悲劇を生み出した。3ヶ月以上にもおよぶ激戦が行われ、南部の糸満まで米軍が押し迫った6月中旬、もう状況的には時間の問題であり、ここで降参していたらまだ多くの人々、若者が命が助かったと言われるが。日本軍の司令官は、一人になるまで戦えと、“玉砕せよ”と命令をくだす。それがひめゆり学徒隊の悲劇を生み、多くの人々の死に繋がった。

ヒゼキヤの弱さは私たちの弱さでもある。弱いことが問題なのではない。弱いことを神に祈るか、祈らないかが問題なのである。弱さを神に祈り、神に向き合っていくこと。人は誤った判断をくだす弱さがあることを覚え、弱さを認めることは決して弱いのではないことをここから教えられたい。(神谷武宏)


2013.5.19「はざまを歩む」 ヨハネの黙示録5:6~14

古代キリスト者の歩みを、「二つの世界のはざまを歩む」と表現した人がいました。「天を仰ぎ、地を歩む」と言う意味です。勿論、これは天にあこがれるあまりこの世を否定したり、反対に世事に没頭することで天のことを忘れるということではなく、二つの世界のはざまを生きるということですが。古代キリスト者のみならず現代キリスト者も同じ生き方をするわけです。天の存在を忘れ世俗化した現代ですが、天は消えてしまったわけではありません。厳然たる存在であることは否定されるものではありません。

一方で間違った彼岸的、熱狂的信仰や終末信仰の強調は「阿片」のようなものです。宗教は阿片ではないのです。ヨハネの黙示録は「世界終局の歴史」であるとも言われます。4章は「全能の神、主礼拝」であり、5章は「玉座にいます子羊キリスト」への礼拝を示唆しているのです。つまり、明らかに救い主キリストの顕現を意味しています。ヨハネは4章と5章の間で号泣しているが、人類の救いを熱望しての号泣なのであろうか。そこで長老の一人が「泣くな」と命じる。

それは「ユダ族から出た獅子、ダビデのひこぼえ」は勝利し、封印を解くからであるという。キリスト教図像学によれば、キリストがライオンと表現されたら、それは復活のキリストを意味する。パウロの言葉で言えば、「わたしたちは十字架につけられたキリストを述べ伝えています」となろう。神は哲学者や神学者、宗教学者の説く神でもない。これはイスラエルの待望したメシア待望とは違う。民族を超え、言語を超え、新しい人類共同体としての先駆けとしてのメシアである。旧約の過越しとも違う。勿論、ユダヤ民族主義によるイスラエル再興でもない。信仰は個人とか民族の単なる再興でもない。

救いとは、個人的充足感や一民族の満足とも違う。宗教を超えて黙示録が熱狂的終末論、陶酔的神秘主義に誤解されることは避けられないのであろう。われわれキリスト者は普段の神礼拝で新しい歌を歌うのである。新しい歌とは何か?ナツメロではない。しかし、われわれは新しい歌を歌うのである。新しいライフスタイルが求められているのである。(名護良健)


2013.5.12「うめきをもってとりなす方」ローマ8:18~28

讃美歌Ⅱ編157番「この世のなみかぜさわぎ」は、アイルランドの民謡ロンドンデリーと呼ばれる曲である。アイルランドは、イギリスに隣接する島で、歴史的に常に大国イギリスの抑圧に晒されてきた。11世紀頃から本格的な制圧が始まり、15世紀には完全にイギリスの植民地となる。1922年にアイルランドは独立するがイギリスの支配は400年以上も続いた。 ただ独立したといっても、アイルランド島の北にある北アイルランドは、イギリス領土のままである。アイルランドは、今も様々な問題を抱えているが、かつて非常に過酷な歴史を持ち、ある意味、琉球・沖縄の歴史と似ているともいわれる。イギリスによる武力制圧、戦争で若者の多くが出兵され死んで行った。植民地による作物の規制で、土地の改良がなされ、その影響か、主食のジャガイモなどが不作となり、飢饉が起きやすく、何年にもわたって不作が続き、19世紀後半には、100万人もの餓死が出てアイルランド人口の4分の1を失ったとある。

沖縄もまた、1609年の薩摩による琉球侵略に始まり、ヤマトの統治下、さまざまな規制、制圧がなされ、ソテツ地獄という大飢饉も経験した。また沖縄戦、その後の米軍統治下、今なお続く基地問題と、抑圧され続ける歴史は酷似している。このアイルランド民謡には、そのような歴史の中で、苦難の歩みの中で、決して希望は捨てないという 意味が込められている。

今朝の聖書に、神が「うめきをもって執り成す」とあるのはどういうことか?「呻(うめ)く」とは苦しむことを意味するが。実は、聖書が記すキリスト、神のお姿とは、そういう表現をもって表されている。私たちが礼拝する神は、「呻く神」、「苦しむ神」、人を執り成すために、神ご自身が、私たちが味わっている苦しみを、誰にも分かってもらえない呻きを、神は聞き取ってくださり、共に苦しみ、共に呻く。聖書が記す神とはそういうお方であるという。これが神の本質、神の愛、神の姿である。イエス・キリストの十字架には、そのような意味がある。 この世には呻きがある。私たちがその呻きに向き合う時、神は、その呻きの傍らにおられるのである。

昨年10月から「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」が始まっている。強制配備されたオスプレイ、暴力の根源でしかない軍事基地に反対の意思表示をするために基地ゲート前でゴスペルを歌う。決して希望は捨てないという意味を込めて。(神谷武宏)


2013.5.5 「残れる民」 イザヤ書1:1~10

今年で66回目の憲法記念日を迎えた(1947年発効)。ただ沖縄がこの憲法記念日を祝日として迎えたのは、本土から送れること18年後の1965年である。何故か? 沖縄が米軍の統治下に置かれていたからであるが。でも日本もまだ米軍の統治下で1952年のサンフランシスコ講和条約が施行して、いわゆる“主権回復”するわけで、戦後7年間は、日本本土も米国の統治下であった。ただ、日本と沖縄とでは大きな違いがある。日本は間接統治で、沖縄は米軍の直接統治に置かれていたため、そのような違いがある。その中で、当時の主席だった松岡政保が、「一日も早く日本国憲法が沖縄にも適用されることを願う全住民の願望」として1965年に「憲法記念日」として祝日にしたのである。

おとといの憲法記念日に、安倍総理はテレビに出て、憲法改正の話をした。一番の目的は9条を変えて、再び戦争の出来る国へと向いたい・・・という思いが見る。日本がかつて、15年戦争を繰り広げた中で、日本の兵士、民間人と合わせて死者300万人。アジアへと侵略戦争を拡大していく中で中国においては、2000万人もの犠牲者を出している。戦争は、勝っても負けても、悲しみと憎しみ、虚しさが残るもの。沖縄はそのことを十分に知り尽くす島である。

経済学者で神学者でもある矢内原忠雄は、軍国主義の国家体制を強く批判し、それがもとで東大の教授を辞めることになるが、終わりの見えない日本の戦争状況に対し、矢内原は「神よ、ひとまずこの国を葬ってください」と祈る。この国は一度滅びなければ、生まれ変わらなければ、だめな国だということを祈った。結果的にそうなるが、そうやって、生れ変るかのようにして出来たのが、日本国憲法、通称、平和憲法である。その代償を見逃してはいけない。

矢内原が祈った「神よ、ひとまずこの国を葬ってください」との言葉には、今朝のイザヤの言葉と相通ずるものがあろうかと思う。9節≪もし、万軍の主がわたしたちのために/わずかでも生存者を残されなかったなら/わたしたちはソドムのようになり/ゴモラに似たものとなっていたであろう。≫自ら犯していく罪において、滅ぶべき状況において、神は、民を「残される」のであった。「残される民」とは、神の一方的な恩寵によるのである。このことを汲み取っていくことは、私たちに求められている。そして今や、キリストの十字架の死によって、私たちも「残れる民」とされているのである。(神谷武宏)


 

2013年4月14日「わが主、わが神」 ヨハネ6:34~40

説教者の説教を会衆はどのように聞いているのでしょうか。現に今われわれは説教者は説教し、会衆は聞いている。このあたり前の現実をわれわれはこれで「事足れり」とはしていないか。ここでイエスのもとに来ている群衆はそのまま今の現実の説教の聴き手と重なる。イエスの群衆は奇跡のパンだけを下さい、と要求している。 奇跡を信仰への導入とはとらえていないのである。ここには聖書が語る人間の姿がある。この礼拝にまさかパンを求めている方はおられないと思うが、様々な願いや求めを持ち礼拝に来ておられるであろう。勿論、何かを求めて礼拝に来られるのは罪ではない。主イエスがわれわれの求めを拒絶することはないと信ずる。しかし神や主イエスはわれわれの道具ではない。「他宗教の話」ではない。キリスト教はご利益宗教ではない。アダム、エバの話は、善悪の倫理的意味合いよりも、「優劣」「快不快」であるとされる。われわれにも同じことは言えよう。

神と主イエスは「われわれの主であり、神である」。人間の欲望の道具ではない。まさに命のパンである。あのマザー・テレサが来日された時に、「ここにも飢餓がある。愛の飢餓が」と痛烈に批判したが、勿論、震災や原発事故の時にはボランティアが全国から応援に駆け付けたが。それでも日本の格差社会の現実は厳しい。アベノミクスは上には温かいが下には冷たい。給料が上がるのも大企業だけである。零細企業、中小企業はどうするのか。障碍者はどうするのか。介護の現場はどうなるのか。母子家庭や父子家庭はどうするのか。生活保護はどうなるのか。いみじくもある論者は「成長より成熟を」と言われたが。いのちのことを考える時に、キリスト教では「永遠の命」と言う。それは命の長さや不死のことではない。復活信仰でイエスとの出会いを果たした者にはそのことが自明であるはずである。ここには求道者、信者の区別はない。そこに生まれる愛の交わりが肝要である。愛の飢餓があってはならないであろう。

ノロからキリスト教に改宗した大城カメさんの口癖は、「ちゃーイエスさまとぅマジュンどうやる」いつもイエスさまと一緒です―ここにも「わが主、わが神」が告白されている。(名護)

2013年4月7日「見よ、神が共にいる」 黙示録21:1~4

黙示録とは、黙示文学といわれて、暗号文を書かざるを得ない状況の中で生まれた文学である。当時の国家が信教の自由を奪い、皇帝崇拝を義務付け、キリスト教徒らが迫害された。この黙示録は、不安定な時代に人々を勇気付けた書物である。どう勇気づけたか? 1章8節に≪神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」≫ここは、神が常に私たちと共に居られるというメッセージ。ただ、わが身に苦難が襲う時、神はおられないのかと嘆くものであったりするが、その状況の中で、黙示録の言葉は、人々に勇気を与えた言葉であった。

中城城東教会は、今年65周年を迎えた。65年前といえば、戦後からまだ2年ほどしか経っておらず、大きな爪あとと、人々の傷はまだ癒えぬ状況であったかと思う。ある戦争体験者の手記に、戦後間もなく疎開先から帰郷した時、船から見えてきた沖縄が、何故か雪が降ったように白かったという。雪の降るはずもない沖縄が、雪が降ったかのように白くなっていた。船が港に近づいて分かったのは、その白さはもちろん雪ではなく白い琉球石灰石が剥き出しになっていたという。鉄の玉が、空、海、陸から雨霰と降る中で、家や人が飛び散り、草花や森林、土や岩が飛び散って、これ以上飛び散るものが無くなって琉球石灰石が剥き出しになっていた。沖縄戦はそれほどに酷い状況であったと聞く。その状況のただ中に居られた沖縄の人々の苦しみはどれほどのものであったか・・・。

黙示録の言葉は、恐怖と悲しみと嘆きが渦巻くただ中で、涙が止めどなくこぼれ落ち、もう神などいないと失望の中にある人々に語られた言葉であった。≪見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。≫ 「共に」とは原語で「メタ」というが、それはただ傍にいる「共に」ではなく、「くっつく、重なる」という意味が込められている。神は、戦争の苦しみも、廃墟の苦難も、私たちと重なるように、まさに共におられたということになる。

この世においては、死も、痛みも、悲しみも、苦労も・・無くなるものではない。しかし、「神が共にいる」という信仰に生きる中で、死は死ではなく、悲しみは悲しみではなく、苦労は苦労で無くなるということである。そういう経験を共に重ねていきたいものである。(神谷)


2012/6/10 アッバ、父よ(ローマ8:12―17)

テキストはペンテコステ第二主日に読まれる。8章は生き生きした聖霊信仰が豊かに語られる。聖霊のいのちの鼓動が聞こえるとされている。説教もそのリズムに乗り生まれてくる。説教の使命はもちろん慰めと励ましを語るが、会衆を信仰告白へ導くのが肝要である。

ここは「ニカイア信条」にもうたわれている。即ち、「わたしたちは、主であり、いのちを与える聖霊を信じます」とある。従って、 聖霊信仰は、個人の信仰体験にとどまらず、共同体の共有する体験でもあります。「兄弟たち」という呼びかけは、パウロ特有のものであるが、共に神の霊を宿す兄弟という思いがこめられている。

説教者が会衆にどう呼びかけるかは大事である。彼パウロとローマの教会とは責任を共有していたことになる。またここには「死からの自由」、「罪からの自由」、「律法からの自由」が語られている。またここはルターの「キリスト者の自由」につながる。われわれキリスト者は自由と責任を共有する。神の霊はわれわれに「アッバ、父よ」と呼びかけることをゆるす霊でもある。即ち、神の子とする霊である。

ここ沖縄には独特の諸霊の民俗文化がうごめいている。聖霊とこれら諸霊の識別が大事である。ニライカナイ信仰もある。御嶽信仰もある。それに祖先崇拝がる。首里のマチマーイをしているとそのこを実感する。霊能者の問題もある。キリスト教にも一部にカリスマ信仰がるではないか。

承知のように、この国のプロテスタントは横浜のバラ英語塾の初週祈祷会から始まる。そこに集うのは没落士族であった。主人を失い、家を失った人たちが主人を求めて教会に集うのである。沖縄の没落士族はどうであろう。彼らはやはり首里を離れ沖縄各地に「屋取」(ヤードウイ)を形成して行く。350ほどが沖縄各地に点在する。ここ中城にも8つほどの屋取がある。顕著なのは泡瀬である。沖縄門中すべてがある。わが祖先の位牌をまつる馬氏門中もある。こうして共同体を形成したのであろう。そこでわれわれキリスト者は何により共同体を形成するか。神の霊によるしかない。ともあれ、「しもべ聞く、主よ、語りませ」という生活を!

 


2012/6/3 ハンナの祈り(サムエル上1:1―20)

ペリシテ軍を前に、イスラエルには自分たちも王制を敷いて、組織的な軍事力を持つべきとの世論が起こります。それには反対もありました。ハンナには子供がありません。第二夫人には子供があります。礼拝後の愛餐の時が、子供を持たないハンナには苦痛でした。一人身の悲哀を実感するからでした。既婚女性には子供を産み育てることが存在価値とされた時代には、ハンナの苦痛は大きかったのでしょう。夫エルカナはハンナを愛していました。1:5参看。それでもハンナの苦しみを理解してはいませんでした。そこには単なる情愛というだけでなく、宗教的な神の祝福への理解のあり方も深く重くのしかかっていたのでしょう。

祭司エリが神殿に仕えていましたが、ある日、祈る姿のハンナに出合います。彼女は嘆きと悲しみのあまり、声出して祈るのも忘れてひたすら祈りました。まさに一心不乱でした。それを見てエリは酒酔い気味だと勘違いします。エリの問いかけにハンナが弁明すると、エリは「安心して帰りなさい。イスラエルの神があなたの希いをかなえて下さるように」1:17と応答します。これは祭司としてハンナの言い分を信じて、執り成しであるとともに、職務として宣言する言葉でしょう。まさに牧会職の務めです。説教職と牧会職とは不可分離のものです。そこに牧師の普段の務めがあり、重さがあります。ハンナは晴れ晴れとしていました。

ハンナの苦悩は他人には理解できないものです。宗教指導者も万能ではありません。限界はあります。なおハンナは祈ります。主により閉ざされた胎であるならば、主がまた開かれると信じていたのです。果たして、祈りは聞かれ、主に届き、サムエルが生まれます。ハンナは誓願どうりにサムエルを神に仕える人として神に捧げます。こういう献身もあります。やがてサムエルを祭司のもとにつれて行き、祝福してもらいます。ハンナの祈りは祭司でもなく、夫でもなく、神に届きました。私たちの祈りの生活はどうか、と問われます。


2012/5/27 今一度力を(士師記16:15―31)

今朝はペンテコステ(聖霊降臨日)。聖霊とは、癒す、導く、慰める、という神の行為である。神はわれわれ一人一人の道を見て下さるということ。これは確かに、神の恵みである。「一人わが道を行く」という歩みを神はお許しになることも可能である。しかし神はわれらの道をご覧になるのである。傷つき、迷い、不安にさいなまれるのをご覧になる。

今朝の聖書はあの「サムソンとデリラ」物語。サムソンは20年間士師として活躍した。他の士師たちと違い、部族のリーダーとしてではなく、単独で外敵のペリシテ人と戦います。彼は主の導きでペリシテの女性と結婚しました。そのことが彼をつらい目に合わせます。彼の弱みが髪の毛であることがペリシテ人に知られ、苦戦しますが、主は彼を捨てられませんでした。髪の毛は剃られてしまいます。彼の力の源泉は髪の毛にあったのです。やがて髪の毛はのびて窮地を脱するのです。窮地に立つ彼は主に向かい、「わたしに今一度力を」と懇願しました。

第二次大戦下でナチ.ドイツに抵抗したボンヘーファーの最後の言葉があります。「わたしにとって、これがいよいよ最後です。しかしこれはまた始まりです。あなたとともにわたしは、わたしたちの全世界的な教会の交わりを貫きーあらゆる国家的利害を超越するあの原理を―注:福音のことーを信じています。そしてわたしたちの勝利は確かです」-「服従と抵抗への道」から。すばらしいことばですね。

われわれにもそういう時が来るのでしょうか。とにかく神はわれわれを導こうとしています。その導きに従う人もいれば、従わない人もいるでしょう。しかし自分の道は巡り巡って自分に帰ってくるのです。幸福であれ、不幸であれ、です。神はわれわれを慰めようとしておられる。生きる意味が分からない時にも慰めて下さる。神が慰めて下さるのであれば、何物も破壊されず、失われず、無意味なものは何一つない。神は幾度となくそうなされたではないのか。神は祈り, 呼びかけ、父よ、と叫ぶようにして下さる。それが聖霊の働きなのである。「今一度力を」。


2012/5/20 数が力?(士師記7:1-8)

今朝は士師ギデオンの話。彼は貧困層の出自。神の選びを躊躇する彼を敢えてイスラエルのために選びます。彼の初仕事は偶像破壊でした。バール神殿、アシュラ神像を破壊します。外敵のミデアン人が押し寄せますが、ギデオンは角笛で民を集結させます。数を頼むか、悩みますが、神は数や軍事力でなく、主の力により頼むべき、と諭します。モレの丘をはさんで対峙します。敵は山手にあります。明らかに劣勢です。

そこで主の言葉が臨みます。ギデオン軍は多勢すぎるから、選別せよ、というのです。大軍を前にして数が多いほうが優勢でしょう。しかし、選別せよ、というのです。残るのは1万人です。しかしそれでも多すぎると神は言います。ギデオン軍は300人にしぼられます。少数精鋭というのではありません。主の戦いだからというのです。この300人で民を守るというのです。「こころおごり、自分の手で勝ち取った」というようにならないためです。神の力をないがしろにしないためです。

心おごろないために、軍勢は300人にされたのです。常識的に言えば、多勢に無勢でしょう。主がギデオンの既成の価値観を逆転させるのです。人は基本的にエゴイストですが、自分の価値観に束縛されるのです。力の源泉は神にあるのです。気力、体力、能力、財力、腕力、暴力、権力…最近はなんでもかんでも「--力」とよく言います。大事なのは、それらの力を何のために、誰のために、使うかでしょう。東日本のボランテアの働きを見て下さい。教会もそうですが、メガ・チャーチ主義とか、教勢とか言いますが、本当の力とは何か、と問われます。宗教信仰は「数は力」論理にはなじまないのです。何に頼り、誰の力に頼るのか、でしょう。総会にあたり再考したい。


 

2012/5/13 安心していきなさい(ルカ7:1-11)

ルカの描くイエスは、「旅するイエス」と言われる。50節の「行きなさい」は、原語で「旅立つ」という意味を持つ。ちなみにこの原語はマルコ福音書では3回しか使 われていないが、ルカでは51回使われている。また8章1節の「旅」も福音書ではルカだけである。旅するイエスの足はどのような"足"であったか?

イザヤ書52章7節こ「いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足よ。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となら れた、と/シオンに向かって呼ばわる。」ルカの「旅するイエス」の足はそのような意味を持って記しているのであろう。

イエスはファリサイ派シモンの家に招かれた。するとそこに「罪深い女」と称される女性が入って来た。この「罪深い女」とは何か? 当時、女性は一人では生き辛い 社会であった。この女性は未亡人と思われる。夫に先立たれたか? 結局生きる為には人がやらない仕事をする。「皮職人、葬儀人、看護人、娼婦……」など。そういう女性を「罪深い女」と区別された。そして自らもこの社会の構図から自分は罪人であると卑下する。自分自身を見下げてしまう社会の構図がそこにある。

イエスの旅には十二弟子のみならず、さまざまな「婦人たちも一緒であった」とある。それは付けたしではない。むしろルカ福音書は、キリストの福音の源に女性の存在を記す。降誕物語(マリア、エリザベト)、受難物語(「婦人たちは遠くに立って……見ていた」23:49)、復活伝承(マグダラのマリアを初め複数の婦人たちに最初に知らされた)。

イエスが「罪人の女」と称される女性に、「あなたの罪は赦された……安心して行きなさい」と言われたのはどういうことだったか? 「安心」とは「平和」とも訳す。社会の構図が平和を脅かし、女性や子ども、病、障がいを持つ者が生き辛い社会において、"平和へと旅立ちなさい"という。「旅立ち」とは「生涯を生きる」ことともいえるが、イエスはそのような女性たちに、「罪深い女」とは呼ばせない。そして「安心して"生き"なさい」と言ったのではないか?それはイ丁スが伴う「旅」だからでる。 (神谷)


2012/5/6 立て、行け(士師記4:1-16)

イスラエルが「約束の地」カナン入植を進めている頃、神は士師を立て民を導きます。王国の成立までは12部族の連合体をつくり、外敵に備えしました。カナンには異教の先住民が住んでいました。当然、先住民との間に軋轢もありました。そこで役割を果たした人たちが士師です。これは「裁く人」という意味です。正義を守り、救いを施す、という意味です。(詩編10:18)

ここには周知のように現代の中東問題の淵源があることは言うまでもない。民族間対立、宗教間対立も絡むから複雑であるが。士師は、民族が窮地に立つと軍事指導者となり、イスラエルを統率したのである。未だ正規軍を持たない時代であるが。聖書ではそういう働きが記され、その背後には神がいますということが強調される。その際、注目すべきは異教の民を殺してはならない、という原則がある。

ところで士師デボラは人妻であり、預言者ですが、これは特筆すべきです。5章に「デボラの歌」がありますが、「イスラエルの母」と慕われたようです。しかしデボラは戦いへと想定外の召集をかけます。王バラクは躊躇しますが、デボラを信頼し、同行するよう命じます。しかし勝ち目のある戦ではなかったようです。デボラの采配と主の隣在を信じます。戦場は588メートルのタボル山です。地中海へ流れるキション川を挟み普段は干上がる川が突然の豪雨で泥沼と化します。主は敵軍を混乱させます。戦いは勝利します。まさに主の戦いでした。民を守られたのです。イスラエル史の背後には主が隣在するということでしょう。この物語はそういうことです。5章の「デボラの歌」を参照して下さい。

ここで女性の働きに注目しましょう。主の求めに応じて歩み出そうとするときに、困難に出会うでしょうが、躊躇するのでしょう。主が隣在しますということは分かっていても、だれか同行者がいればと思うのでしょう。われわれの信仰人生で時にそういうことはあるのでしょう。イザ!というとき、われわれにはそういう信仰姿勢がモノを言うのです。


2012/4/29 食べることは生きること (使徒言行録27:13―44)

パウロのローマ行き話である。彼に反感を持つユダヤ人により囚人として他の囚人たちとともにローマ行きとなる。すでに秋であり、 地中海は荒れる季節。パウロは忠告しますが、航海は強行されます。途中のクレタ島で冬を越すことになりました。パウロの忠告よりも船長らの判断にゆだねた のです。専門家の判断にゆだねたのですが、そこに落とし穴がありました。

案の定、嵐に会います。絶望的と思われたのですが。10節「思い上がり、傲慢」と訳されるが、本来的には「勝手気儘」という意味。自己義認、私 物化、法律用語では「組織悪」を意味するという。かつて、聖地旅行でコリント運河、地中海を目の当たりにしたことがありますが、普段は隠やかです。 そういう状況下、パウロはと言えば、神様にゆだねる他ない、という思いがあります。「一人の命も失われない」というのはそのことを言いたいのでしょう。

漂流する船中で食事もままならないかとパウロは言う、「元気を出しなさい。私は神を信じています」(25節)。 パウロが無事にローマに到着するのは神のみ心です。われわれも日常生活で同じ場面に遭遇したときはどうするでしょうか。パウロのように神に恭順を示せるでしょうか。 「私は神のものである」と言えるでしょうか。

14日が経過し、パウロは皆に食事するようすすめます。陸地に近くなることが分かったからです。 彼は自らパンを口にします。その時になり皆はようやく食事します。食べることは生きることだからですね。35節で「パンを取り感謝し、それを 裂き」とありますが、これは「主の晩餐」を暗示しています。一同は生ける主の臨在を体験したのでしょう。今日のわれわれの主の晩餐への参加はそういう意味があるのです。

信仰は生ける主を体験できるかにかかっています。23:11で「勇気を出せ。エルサレムで証したように、ローマでも証しなければならない。」 去る震災で、津波に襲われた野蒜小学校でのこと、救助を待つ人々に、「ファイト、ファイト、野蒜小」と掛け声が上が りました(新聞記事から)。


2012/4/15 主がお入り用なのです(マルコ11:1-11)

聖書の箇所が前後しますが、今朝は11章です。イエスが先頭に進み、十字架を前に死を意識している主の姿に弟子らは恐れた。マルコの筆は大きく急展開する。16章のうちでその三分の一を十字架の2、3日の描写に費やす。マルコ福音書の最終部分の展開である。

学問もそうであるが、特に、信仰は驚くことから始まる。バルトが言う、「神学とは、特別な仕方で驚くことだ」と言い、もし驚くことがなければ、その人は神学以外のことをやるがよい、と。信仰も同様である。驚きはどこから来るか。神との出会いからである。驚かない信仰、おそれのない信仰はあり得ないということ。神との出会いとはそういうものである。

今朝のポイントは「主がお入り用なのです」にある。この言葉をどう受け取るか、読むか。この言葉は自分の人生を余すところなく主に明け渡した者たちだけが、その意味を理解することになる。主は最後のエルサレム入場の借用したロバを返還している。2、3節。

名護は信仰56年、牧会50年となる。「山路超えて」404番を愛唱した高校生バイブル・クラスから始まり、牧師の勧めもあり献身、西南学院へ。1962年に普天間教会赴任、33年の長きに奉仕、この教会へ赴任。今、引退の時期になり、ある感慨とともに一抹のさびしさは否めない。

自戒の念もある。私の場合、牧師の勧めはこの声であったわけでしょう。信仰者のわれわれには誰にもこの声はかけられるのでしょう。どうこの声に答えるかは人それぞれですが。われわれ信仰者の人生はこの声に答えていく人生です。どうわれわれの人生が神に用いられるかですね。あの子ロバのように主をおのせできるであろうか。人生を捧げられるであろうかが問われています。

主に用いられる人生を生きることが信仰者の生き方です。あのモーセも然りです。「主がお入り用なのです」、とあなたにも聞こえているはずです。基本的に、エゴイストの人間が、キリストの証人として生きる人生がわれわれの人生です。歴史を担い、「地の塩」「世の光」となることに人生の意義はありますから。「主のお入り用なのです」。


2012/4/8 復活信仰の意味(マルコ16:1―8)

ハツピー.イースター!復活信仰はマルコが用いた最古の信仰告白伝承である。彼はイエスに関するいろんな伝承を一つにまとめまめたのです。ここに「イエスはよみがえり、ここにはおられない」がポイントです。これは「起こされた」-神によってということ。あのパウロもこの伝承を受け継いでいるのです。―ローマ10:9。

そこでなぜ復活伝承が宣教の対象とされたのか、という問いの前にわれわれは立つわけです。ただここで歴史学の手法で確認できるのは、十字架を境に辺境の地から福音の宣教が始まるということです。ここは歴史学でいう史実をいうのではないのです。勿論、復活と十字架は切り離すことはできません。

そこで復活信仰の持つ意味は何かということになります。ただ確かなことは、福音の宣教が辺境の地ガリラヤから全ユダヤへ、世界へ拡大したということです。弟子団は転換したのです。この最古の信仰伝承の担い手が辺境の地の人々であったということです。この認識を欠くならば復活信仰の意味は失われます。
ここには復活信仰を中心的に担った人々と社会層に注目することが大事です。またこの伝承はペテロから弟子団へ、継承されていくのです。そうした人々がやがて「エルサレム教会」を形成していくわけです。そして彼らの宣教の中心メツセージがこの復活信仰でした。ペテロはガリラヤの漁師ですが、貧困層というのでもなく、雇人もいたというのですから有産階級に属するのでしょう。律法学者にも漁師がいたといいますから知識階級でもあるのでしょう。こう見てくるとキリスト教が賎民の宗教というのは通説ですが、これは訂正されるべきでしょう。コリント教会にも富裕商人、知識人、手工業者がいたともいわれますから。自虐史観ではありませんね。

復活のキリストとは今は天にあるということです。韓国に民衆の神学の流れがありますが、自ら「ガリラヤ教会」と称し、中心にあるのが安牧師です。彼は言います。「今この世界は、どの時代よりも、押しひしがれた者たちの叫びに満ちている。これがわれわれの現場である。 これはイエスの叫びでもあろう」と。


2012/4/1 何をしてほしいのか(マルコ10:32―45)

われわれがキリスト者であるということにどういう意味があるのか? 単純明快に言えば、イエスに従い、人々に仕える、の二つである。そこに介在するのがイエスの十字架の死である。これは福音書が繰り返し強調している。そのテーマが明らかにされているのが受難予告である。8:31-38、9:30-37、今日の箇所が3回目。どれもがイエスの受難予告、弟子らの無理解、イエスの教えとなる。
マルコによれば、エルサレムは悪の巣窟である。イエスの死ぬべき場所として語られる。マルコはイエスの宣教の始まりはガリラヤであるという。救いは辺境からである。先頭に進まれるイエスには悲壮感と緊迫感が漂う。弟子団もイエスに従いながら恐れ慄く。「十字架に向かうイエスにあなたは従っていけるか」と問われる。カトリツク教会のイエズス会開祖イグナチウス・ロヨラもそのことを求めたといわれる。  

われわれはどうか?例えば、襲いくる不幸にどう向き合うであろうか? 不治の難病に向き合い人はどうするであろうか?本当に言われるように、死の美学に浸れるであろうか?山田風太郎の「人間臨終図鑑」という本がある。世界の有名人、知名士の最後を描いたもの。読んでいてわれわれの最後に向き合う死生観を問われる。受難節のこの季節に改めて考えたいと思うことしきりである。

ロヨラは言う、われわれには二つの旗がある。一つはサタンの旗、二つはイエスの旗である。サタンの戦略に乗り、生きるか、キリストの旗のもと生きるかが問われるとも。イエスは的はずれな生き方にノーと言われる。「何をしてほしいのか」と弟子団に問われたようにわれわれにも問いかけているのではなのか。イエスに何をしてほしいのか?弟子団のなかの二人は弟子道に反して生きた。わたしはイエスに何をしてほしいと思って生きているのか。イエスに従い、世の人に仕える生き方を学び、その生き方が貫徹できるように生きたく願う。この季節の黙想である。レントにふさわしく。生の美学を!  


2012/3/25 小さくされた者の側に立つ神 (マルコ9:2-10)

「主の変容物語」である。カトリツクには「主の変容主日」があるが、プロテスタントにはない。受難と復活との関連で読まれる。日基教団聖書日課では、荒れ野の誘惑 ― 悪と戦うキリストの受難― 変容 ― 十字架の勝利、と主の足跡を追うように構成される。メソジスト教会式文では、「栄光と憐みの父よ あなたのみ子は,恥辱のうちに死をとげるまえに、山頂へ登られた。あなたは栄光のうちにみ子の命を啓示されました。山頂で弟子らはみ子を証しし、あなたは「これは私の子」と宣言されました。しかしみ子はわたしたちのうちで死ぬため、戻ってこられました。勇気を持って悪に立ち向かえるよう、どうかわれらをお助け下さい。すべてのことが、死さえもが、あなたの変容の力に服するものだと悟らせてください。主イエスにより願います。アーメン。」とあります。

これはまたわれわれの普段の祈りともなります。「イエスとは誰か」というのは大事なことである。
ただ教師としてでなく、神から派遣された方、という告白が大事ということ。ただのわれわれの人生の模範ではない。パウロも聖霊によらなければ、イエスは神の子と告白できない、と言う。変容のみ子を見たときに弟子らは幸せであると実感したのである。ただその幸せ感にただ浸るのではなく、善悪入り乱れる歴史の現実のなかで、神のみことばは聞くものと示されたのである。 

そこで福音書における「変容」の位置であるが、ペテロの主告白とともに、イエスとは誰か、イエスとは何者であるか、が明確化される山場を構成している。われわれというのは、信仰により歴史の過去と未来のはざまで生きるという緊張感を持つ者である。われわれの人生のゴールのビジョン何かが問われることになる。
今、難病と向き合うわが友人がまさにそのはざまに立つ。先日病院で遺言のこと、葬儀のことをもち出してきた、たまたま、私の紹介で首里教会の納骨堂のボツクスを購入していて、「名護君が最後の祈りはやれ」、ということになった。葬儀社の生前予約も済ませた。人は誰も自分の生と死と真正面から向き合うことになる。高校時代バイブル・クラスと首里教会でともに愛唱した「山路越えて」を思い出しながら彼のために祈る日々である。人はそれぞれの生の現場で「小さくされた者の側にたつ神」につかえて生きていく。


2012/3/18 ヨハネの主の晩餐 (ヨハネ6:41-59)

イエスは、道を見失い途方に暮れる人々に歩み寄り、一つの希望を投げかける。.人々はそんなイエスに親しみを覚え、救いを覚え、共に歩むことを赦されていく。色々な話をしながら共に歩むその旅路は、イエスと出会い、イエスに付き従うようになった弟子たちにとって本当にわくわくするような旅路だったに違いない。

ところがユダヤ人らが、イエスにバッシングを始める。「これはヨセフの息子ではないか。我々はその父も母も知っている。それなのにどうして…」と、多くの者がイエスを非難し、罵声を浴びせ始めた。その時、弟子たちはどうしていたか。今日の箇所のすぐあとの60節には多くの群衆と共につぶやく弟子たちの言葉が記されている。《実にひどい話だ。誰がこんな話しを聞いていられようか》さらに66節には、《弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった》とある。さらに
この後のことを言えば、イエスが裁判こかけられ、イエスがありとあらゆる悪口を浴びせられた時、弟子たちは誰一人としてイエスを弁護しようとはしない。弟子たちのふがいなさ、弱さが露わにされていくが、そのような弱さの中でどうやってイエスのもとに留まりうるのか。

今日の箇所は、ヨハネの「主の晩餐」理解とも言われるところである。「主の晩餐」と言えば、パウロが綴った第一コリントの主の晩餐の言葉を思い出すが、…パウロが記す「食べる」というギリシア語は「エスティオー」という原語が使われ、これは「食べる、食事をする」と言う意味。いわばお上品な言葉である。ところがヨハネの「食べる」は「トローゴー」という原語が使われ、それは「むしゃむしゃ食べる、肉を食らう」という、お上品な食べ方とは、全く正反対な食べ方が記されている。それはこう受け取ることは出来ないか。「わたしの肉をむさぼり食うたびに、わたしを虐げ、殺したことを思い起こしなさい」というふうに…。

ヨハネにとって、主の晩餐とは、ただイエスのありがたい出来事として想起しなさいというものではないように思う。この世に、人間の肉体を持ってこられたイエスを、その肉をむさぼり食うように、虐げ、殺してしまった。そのことを激しい痛みをもって思い起こしなさいと言う、ヨハネのメッセージではないのかと思う。 (神谷)


2012/3/11 神の家に生きる (マルコ3:20-27)

「家とは何か」というのがここの主題。主が「家に帰られた」とすれば、われわれのようにイエスにも心身休まる家があったのであろうか。「枕するところなし」とも言われたから。家は安らぎの場所なのであるが、果たして、主にそういう意味での家はあったのであろうか。群衆が押し寄せてそれは許されなかったのではなかろうか。

そこで「主イエスとは誰か」というキリスト論になる。マルコは『神の子イエス.キリストの福音の始め』という信仰告白で始まる。押し迫る群衆、主の身内、律法学者たちも誰も「主イエスは誰か」ということを正確にとらえてはいない。身内の者は主が「気が変になっている」といい、律法学者らは「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言う。ここには主イエスと政治、宗教の中枢であるエルサレムとの対立が読める。
また「家の主人は誰か」、「教会という家の主人は誰か」が問われているのである。言うまでもなく、われわれには主イエスこそ家の主人、教会という家の主人であるという信仰告白、キリスト告白がある。 主イエスは身内の者、12使徒、無理解な群衆を同じように呼び寄せておらられる。家とは安らぎの場であるが、今、そうでなくなりつつある。さまざまな形の家庭崩壊、破れ現象がある。教会もまた真の意味で安らぎの場所となり得ているかが問われるであろう。「家の主人が誰か」が忘れられているのではないか。

神とイスラエルとの荒野の時代、新婚生活が想起されている。十戒の契約で結ばれた夫婦関係にあった。「時は満ち、神の国は近い」であった。終末論的パースペクチブである。聖なる領域の教会とは、そういう終末論的「新しいメガネ」に生きる群れである。説教の重要な課題もここにあることは言うまでもない。おそらく律法学者らには自分たちは中央の権力の中枢にいるという自負がある。主イエスが辺境の地ガリラヤで中央と違う新しい教えを説いている。信仰とはその主イエスの手のなかで生きることである。律法の時代は終わり、福音の時代の始まりである。われわれは神の家、教会で生きる。説教もまた神の家たる教会に生きることへの招きである。


2012/3/4 救いは辺境から (マルコ1:12-15)

レント―受難節―に読む聖書箇所である。主題の肝心なところは、主のヨルダン川でのバプテスマにより神の子たる自覚を与えられ、辺境の地がリラヤで の福音宣教の開始という二つの事件の間に、曠野の誘惑という40日間の試みがあるということである。いかにもドラマ仕立てである。ここは公生涯の始まり にサタンとの戦いに黒白をつけておくといことであり、キルケゴールもいうように、人はだれかを高みから引きずりおろす負への誘惑には抵抗力を持っているのかも知れない。 まことにサタンは巧みな誘惑上手なのであろう。

さて主はガリラヤヘためらわずに行く。ここは辺境の地である。「ガリラヤからは何の良いものが 出ようか」と言われた。ローマ帝国の帝都からすれば、がリテヤもユダヤそのものも地方の辺境の地にすぎない。辺境の地からやがて世界を動かすような出来 事が始まるのである。福音の発祥の地となるのである。全世界の始まりがここにある。人間の命のありようはここから回復が始まる。

最後に黙想したいことは、「悔い改めて福音を信じなさい」ということ。聖と俗、ということも念頭におきながらも神の国がまじかに迫った時に、そのことを他 人事として、どうでもいいと無感動に、気楽に受け流したり、無関心を装うことができるであろうか。否である。実はサタンの支配に対しても同じことが言える が、神の国到来のことははるかにその比ではないことは言うまでもない。世俗世界は万事ビジネスライクに、成果主義であることは言うまでもないであろうが。

われわれが迫る神の国こ入れるかということは今の生き方によって決まるもの。しかし世俗世界は違う。この違いは根源的である。現在即将来、である。信仰 とはそいうものである。最後の審判は今の生き方の延長線上にあるのである。それ以外のなにものでもない。日ごとの主の祈りのなかで「みくにを来たらせた まえ」という祈りは真実でなければならない。悔い改めなさい、福音を信じなさい、は脅しではない。生き方の選択を迫られているのである。さらに言えぱ、こ こには神のご支配がある、ということがあることを忘れてはねらない。


2012/2/26 キリストの思い(Ⅰコリント2:1~5)

パウロは、《十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心こ決めていた》とある。こ二に出てきた「知る」という意味は、知的に「知る」ことではなく、人格的に深く 相手を知るということを意味する。
聖書では、夫婦になることをそういう深さをもって「知る」とある。人格的に深く相手を知り、「豊かな時も貧しき時も、健やかなる時も病 める時も、互いに愛し、敬い、共に生涯を送ることを約束しますか」という深さが「知る」というわけである。ゆえに外側からの観察ではなく、その内側に入り相手と深く関わり 合っていくことである。
パウロの《キリスト以外、何も知るまい》とは、キリストのみを拝し、委ねて歩むこと。そのことの決心を表していると言える。

ただ私たちは、「キリスト以外、何も知るまい」と、そう決断できるものか?このことの意味は、私たちの現実の社会において、キリストのみに頼って生きるということである。 しかし私たちは、どちらかというと、此の世にも頼りながら、足りない所は神に補ってもらう生き方をしていないか?では、パウロの理解はどのようなもとに「キリスト以外、何も知るまい」と言っているのか?
3節に《わたは衰弱していて……》とあるが、この所の「わたし」は、ギリシア語原文を見ると「カゴー」という言葉が使われている。カゴーとは、「私もまた」という意味。するとここは「私もまた、衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」ということになる。西南神学部の青野太潮教授は、このところの解釈に「私もまた、衰弱し ていて……」とは「私もまた、そうだった」という事になるという。「私もまた、そうだった」とは、他に誰がそうだったと言うのか?それは、「キリストもまた、私と一緒に衰弱して いて、恐れに取りつかれ、ひどく不安を抱いた」ということになる。

キリストの十字架には、神の「弱さ」が示されている。キリストはその「弱さ(十字架)」ゆえに、「弱さ」の側にいる者の立場こ身をおかれる。パウロは、そう「キリストの思い」を受け止め、「キリスト以外、何も知るまい」との思いに至ったのではないか。受難節(レント)の折、私たちもまた、「キリストの思い」を深めるものでありたい。(神谷)


2012/2/19 信仰を問う(マルコ2:1-12)

 「9.11テロ」以来、アメリカ社会にイスラム批判の嵐が吹き荒れた。ブッシュ大統領は「報復」を宣言し、喝采を浴びた。その際に、ビリーグラハムは国の公式追悼式で「われわれキリスト者は」を連発した。そしてイスラム教徒を敵視した。その息子フランクリン.グラハムは「イスラムは悪魔」と断じた。

そのアメリカにはプロテスタント1億、カトリック600万、イスラム600万、ローマ正教会600万、がいるといわれる。そのプロテスタントの最大教派が長老教会である。ガラスの巨大会堂を有する教会の牧師が有名なロバート.シューラーである。現在長老派の信徒6万4千人が軍隊に入隊、300人のチャプレンが従軍している。ゆえに反戦の声はこの教派には生まれないという。チャプレンを「キリストに似た愛国者」と呼ぶ。メガチャーチの実態である。以来、メインの教派に他宗教、人種差別の精神的バックボーンとしての役割を果たす。

こういう実態を明らかにしたのは、われわれキリスト教の信仰とは何か、を問うためである。今朝の聖書はわれわれに何を問うのか。癒しか、奇跡か。主イエスの頭上に大穴を開けて病人をつり下ろした者たちの信仰を見て癒しを告げられたのである。ここには病が罪の結果とも因果応報の考えはない。もしここで癒しが強調されているとすれば、ただ神を癒しのためにだけ利用したご利益信仰になってしまうであろう。要するに、われわれ人間の手ごたえを優先するか、神の側の手ごたえとどちらを優先するかでしょう。ここで問われているのはそういうことなのです。

確かに、人間側の幸福、病の癒しをわれわれは求めるでしょう。ここには確かな神学的メッセージがあります。同時に、そのほうが牧会的でもあります。現代人も古代人同様、癒しや幸せを求めるのです。そのことは否定できません。大事なことは魂への配慮であります。ドイツ語で牧会をゼーレゾルゲと言いますが、まさに「魂への配慮」という意味です。説教とは何か?一般的には「慰めを語る」とされますが、そのことは癒しを語ることと無縁ではないでしょう。ましてや政治的説教でもないことは言うまでもないことです。


2012/2/12 イエスに従う (マルコ3:7-19)

イエスが弟子らと湖のほうへ立ち去った時に、ガラテヤから来たおびただしい群衆が、イエスに従っていったとある。「従う」という表現をマルコは重用している。8節には、ガリラヤからの群衆には、ただ「集まってきた」としているのである。「従う」と「集まる」には大きな違いがある。その差は何故かよくわからない。しかし根本的な違いをマルコは強調しているように読めるのである。

ガリラヤはユダヤ人の間では「辺境の地」とされていたし、「ガリラヤから何の良いものが出ようか」と言われ蔑まれていた。そのガリラヤの民衆はイエスに従うとしているのである。「押し寄せた」とあるから、イエスは「小舟を用意するように」と命じたのである。ここは当時のガリラヤ地方がどれだけ抑圧されていたかということを彷彿とさせる。他の群衆同様にただ癒しを求めていたのかもしれないが、「従う」ということを強調しているように見える。つまりただ病の癒しだけではなく、「イエスに従う」ということが強調されているのである。ここにはさらにイエスとの深い絆、交流したいという強い願望があったのかもしれない。

一方で他からの群衆はただ「イエスを押しつぶす」ほどのことだけであったのであろうか。つまり「従う」という意図は感じられないのである。つまりただご利益を追求しただけであったということであろう。ご利益信仰の拒否である。われわれの信仰のありようを問うているのである。信仰とは何か、イエスはだれか、改めて、問いかけているのであろう。状況が変われば、イエスを殺すかもしれない方向である。実際、イエスは十字架に架けられている。ここではマルコは癒しを強調していない。むしろイエスがこれらの群衆から逃れようとしているかのように描写している。さらにイエスは追いかけてくる群衆をあたかも「汚れた霊」と呼んでいるかのようである。自分だけが救われたい、癒されたい、というエゴイスティックな信仰を戒めたのかもしれない。信仰はエゴイズムではない。 


2012/2/5 ラザロ物語 (ルカ16:19-30)

ここは良く知られた物語。他の福音書に並行記事はない。語ることは明確である。ある程度上の金持ちに対して単純直截な拒絶反応を示す。現代でも月収200万程度の人で多少の景気変動で首になる非正規労働者は多いご時世である。そのくせ億単位の年収を得ている経営者たちがいる。犠牲の上に座るのである。こういう事態は本来あってはならないことであることは理の当然。ましてや古代社会でのこと、深刻ではあったであろうと容易に推測される。われわれはここで何とかかんとかキリスト教的教訓をつけ足してはならない。

物語の背景には、当時の社会の時代背景がある。イエスは目先のことではなく永遠への思いを物語るのである。それは後の復活信仰と深く関わるのです。つまり人は「どう生きるべきか」ということを語ろうとしているのです。ここで前後の文脈を見てみよう。このたとえ話の前には「不正な管理人」のはなしがある。ここでは富を不正に利用するのではなく、公正な用い方をするように、と語られる。ファリサイ人は富に執着していたのであろう。彼らは富を神からの賜物と考えていたのです。
次の話は、「ラザロ」です。イエスのたとえ話に主人公の名前が出てくるのはここだけです。ラザロだけです。この名前には、「神が助けた」という意味があるとも言われる。彼は物乞いするいわゆる乞食です。ここでラザロと金持ちのことでいえば、因果応報的な読みにしてはならないでしょう。大事なことは、われわれの身近にもそういう環境下におかれた人はいるのではないか、高みに立ち、低みにいる人たちに目が届かないことはないであろうか、と問われるのです。われわれの周りにもラザロはいるのではないか。それは何も野宿者のことに限りません。色んな意味が込められているのでしょう。

この話は、ただ単に死後の世界の話なのではなく、ファリサイ人たちに、「人はどう生きるべきか」を諭したものがたりとして読めます。また単に、経済的モラルの問題を論じたものでもないでしょう。


2012/1/29 恩寵の回顧 (詩篇77:4-9)

私が歩んできた過去を、聖書を通して振り返ってみたい。詩篇77篇には、イスラエルの人々が40年間、荒野をさまよい、苦しんだことが記されている。漢那伝道所時代のこと、ある不幸に襲われ苦しみの中で教会に来た人がいた。もとは幸せな漁師家族だったが、父親が事故死して以来、不幸に見舞われた。しかしその人は信仰を得て立ち直った。苦しみは苦しむために与えられるのではない。苦しみを通して、救いとなぐさめが与えられるのである。信仰は人を強めるということを実感した。

神は、人間をご自身に似せて造られた。形だけではなく、霊的なものすべてを、神に似せて造られた。それは神の主体性を人間が賜ったということである。「論語」にこういう話がある。ある大臣が他人から「ある名門出の学者が貧乏しているので助けてやってほしい」と頼まれて、学者に食糧を送った。ところが学者は断った。大臣の行為が自主的でないからという理由である。私はこの話で自主性ということを教えられた。

信仰も同じように主体的、自主的なものでなければならない。戦後復員して、心から沖縄の復興を祈った。その場所に宣教師館が建った。連盟がつくられた。振り返ってみれば、これはすべて神の力によるものである。神は生きて働かれる神である。私は齢97、だが神と共にあれば千年も万年も生きる。これが、私が神から賜った恩寵である。(伊波盛次郎:筆記者竹内豊)


2012/1/22  必要な一つのこと (ルカ10:38~42)

ここは有名な箇所。マルタ、マリヤ二人の姉妹の物語である。キリストへの言葉を聞く態度と奉仕による仕え方で奉仕による仕え方を優先せよ、という。ブライベートを優先するか信仰を優先するか、そのどちらを優先するかという問いでもある。 つまりエゴイズムへの問いかけである。活動的な人、受動的な人、などといろんな読みがあるし、人間の性格の相違とか、甲乙つけることでもない。大事なことは、イエスが言われる「大事なことは1つ」ということにある。

たしかに人間社会では「もてなし」は大事である。「奉仕」「デイアコニア」の精神です。これがなくては世の中干からびてしまいます。今震災被災地でいろんなボランテイア活動がなされていますが、まさに「絆」を求めることとして大事なことです。一人住まいの高齢者問題などさまざまな問題が派生しています。もちろん放射能問題も深刻です。そういう人たちに寄り添いながら共に考えことも大事でしょう。

イエスは心乱れるマルタに寄り添いながら、叱責するのでなく、優しく語りかけるのです。「多くのことに思い悩む」彼女に対して隣人となり、思い悩む彼女に語りかけるのです。「必要なことはただ一つ」ということです。たしかにマリヤは良い選択をしました。わたしたちにも「必要なことは1つ」と問われているのです。いろんな思い煩いがあるでしょうが、大事なことは「必要な一つのこと」を見失わないことです。直前の「良きサマリヤ人」物語のように、「良き隣人」となろうとした人たちにマルタのような人もいたのかも知れません。ボランテイア活動でも同じことは起こり得るでしょう。いろんな支援活動する人たちにも問われていることでしょう。人に寄り添うとか良き隣人になるというのは安易なことではありません。

こんな話があります。ある医師が末期のがん患者のケアをしていて、技術としては最善のことはできるが死を前にした患者にかわりその人の死を担うことは不可能です。ただ最善の技術でお世話し、寄り添うことしかできない。限界がありますね、というのです。牧師も似たようなものです。仕事柄、死を前にした患者を看取りますがただ祈ることしかできません。



2012/1/15  十字架の言葉 (Ⅰコリント1:18~25)


パウロはこの「十字架の言葉」を聞く者は二分されるという。《十字架 の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われ る者には神のカです。》

「十字架」とは、忌み嫌われるもの。犯罪者が処刑されるもっとも恐ろ しく、醜いものである。ゆえに”キリストが十字架につけられた”とする 教えを、「愚かなもの」と言うのは、ある意昧当然のことである。神の子が 捕らえられ十字架にかけられて殺されてしまう、そんな者が救い主 いうのか?……と。ユダヤ人の多くがそう思い、その出来事は蹟きのも とであった。ギリシャ人もまた、神が人間の姿をとって此の世に生まれて くる……そんな馬鹿げたことがあるものか、愚かなことを言うものよ、と いう。

その蹟きには、人間側に「神はこうあるべき」という理想があるからで あろう。ユダヤ人の神観は、力強いダビデ王のような、敵をなぎ倒す御腕 を持ったものでなければならない……そういう理想があった。ギリシャ 人もまた、ギリシャ神語に出て来るような、数多くの神に対する理想があ った。

では、イエス・キリストはどうして十字架にかかられたのか?神の子が十 字架上で苦しまれたのは何故だったのか?ヨハネの手紙1に《神は、独 り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きる ようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました》 とある。神は、私たちに「愛」を示すために「十字架」にかかられたとい う。命を投げ出すほどの「愛」……これ以上の「愛」の表し方があろうか。 《神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い》のである。(神谷)         


 

2012/1/8  新しい出発 (マルコ1:9―1)

イエスがヨハネからバプテスマを受ける、という場面である。イエスはこの場面で公けに自らのメシア性をはじめて自覚したとされる。これには当然異論もある。ただ決定的なことは、ここで父と子の間に、秘儀として何らかの特別な地位を与えられたとするが大方の読みである。ヨハネの宣教の中心は罪の悔い改めのバフ゜テスマであるが、あくまでイエスが来られるまでの備えとしての性格であった。そこでイエスは公けに姿を現すことになる。イエス30歳ころのこと。マルコは承知のように他の福音書記者のようには詳細にイエス誕生物語を書いていない。ただ「ガリラヤのナザレから」としか書かない。ナザレとは旧約には一度も出てこない無名の地である。しかしイエスはそこで新しい第一歩を踏み出している。

人生は分離や別離の連続とも言えるが、それは同時に新しい出発でもある。森有正が「アブラハムの生涯」で彼の大事なことは、彼はいつも出発する人であったということを挙げています。いつもどこかへ出かける人であったというのです。まさに至言ですね。イエスもまた出発する人でした。われわれも彼らに習いたいですね。人生にはいろんな出発がある。結婚しかり。バプテスマしかり。霊的出発です。

イエスはヨルダン河の低みに降りて来られた。ここにも低きに立つ主の姿が見えてくる。「わたしが来たのは罪びとを招くため」と言われて。私のバプテスマは1956年であるが、55年になる。あのときの特別な感動はなかったように思うが、その後の人生を大きく転換させたことに変わりはない。伝道者の道を歩むことになるから。今思えばそれが大きな人生の感動なのであろう。だれしも人生のある時の感動があるはずである。また学問というのは感動からとよく言われたりするが、高校1年の担任が(甲辰の大先輩)で生物の先生ということもあり、生物、地学に関心あり、理科系と思われたが、卒業間際になり、文科系へ転換、大学史学科に進み、教員免許取得した。そこでまた牧師に進められて神学校へと転換した。ここにはある感動が影響しているように思う。これは心の灯というものであろう。伊波普猷とも親交あった河上肇も1917年当時の貧困問題に感動して「貧乏物語」を書いたという。38歳。


2012/1/1 ほかの道へ(マタイ2:1-12)

「東から来た博士たち」とは、どんな学者かは定かではないという。とにかく外国人である。運勢占いをする人たちであれば、自分の星座・血液型・性格判断とか、新聞雑誌に出る、ネットに出るものをよく見ている人たちもいる。現代も古代も同じであろう。とにかく先行き不安があり、安心を得たいのであろう。だれでも自分の生死が気になるのであろう。しかしそんなことで人間の運命が分かるのであろうか。安心が得られるのであろうか。否、である。博士たちは、これまでの自分たちのやってきたことがひっくり返されたのである。人間の思いや常識、経験を超えて思わぬ道へと導かれた。これがクリスマス物語の始まりであった。クリスマスとは、まさにほかの道へ、とわれわれを導く。彼らも古い道を捨てた。回心とはそういうことである。ほかの道へ。


とにかく大変な一年であった。世界もこの国も。今年は違うほかの道へと導かれ たいと誰しも思う。イラク戦争は終わったが世界の平和は未だしである。世界の永 遠の平和を祈りたい。クリスマスを祝い、彼らが「自分たちの国へ帰ったいった」よう にわれわれも自分たちの生活へと戻る。新しい一年を歩みださねぱならない。先 立ちたもう主に従いつつ。礼拝もまさこそういうものである。神の愛が注がれる場所 から自分たちの生活の場へと帰っていく。博士たちは捧げものを捧げたという。そ れは彼らの生活の大事な手段であった。それを捨てたのである。奇しくもこの捧げ ものの中に没薬があった。これはキリストの十字架の予見である。クリスマスにはす でにイエスの贖いの死が予見されていたともいえる。華やかな祝いの陰に見え隠 れしているが。。キリストは「人間の姿であらわれ、へりくだって、死に至るまで、それ も十字架の死に至る。」フィリピ2.6以下。クリスマスの祝いとは何か。それはわれわ れがほかの道へと進むことである。キリストはまさこその誕生から十字架に至るま で危険な旅に出られた。祝ったわれわれはこの世界はむなしいものでなく、われわ れは一人ではなく、み子イエスと共に進むのである。不安や逃避ではなく、生きる 勇気を得たから。


2011/12/25 低きに立つ神(ルカ2:1-20)

牧師の説教とは何か。常に、サクラメンタルなものを目指している。知的論理の展開ではない。もちろん慰めを語る、ということも大事であるが。実は讃美歌と連動している。「マリヤの賛歌」はそのことを示唆する。「わがこころ 主をあがめ 救い主なる主をほめまつる」。アドベントは特にそうである。そのことが礼拝の形式主義と無気力から解放する。賛美は大事な礼拝の要素であることに心したい。

あの時代、世界は混乱と不安の時代であったが、またこの時代も今年は特に似たような時代であった。そうした時代に救い主は降誕したのである。天の高みから地上の低みへと降りて来られた。「地べたの神」「低みに立つ神」とか言われる。天の高みに鎮座するのではない。信ずるもの者の間にいます神である。神の歴史への介入とも言われたりする。教会は地上の古い世界秩序と折り合ってきた歴史を持つ。神の革新者であることを忘れたのである。

塩野七生が徹底して歴史を権力者の掌中にあるものとして描写するが、これはマキャベリスト的なとらえ方である。確かに、ローマ皇帝はインペラトール、メシアとしてあがめられた時代ではある。しかし人はメシアにはなれない。パクス.ロマーナは一時的なものであり、永遠の平和をもたらさない。「天に栄光、地に平和」はキリスト.イエスのみがもたらすもの。

キリスト者がよく言うが、「クリスマスはツリーやケーキではない。ほんとうのクリスマスは教会にある」と。しかしそうだろうか。ある時、一カトリック神父が国際会議のためマニラに赴いた。大事な典礼、カテキズム審議のための会議である。会議がおわって、誰一人として、世界の小さき者、飢えている人たち、路傍の生活者には目もくれず、帰って行った。貧困者と関わっていたこの神父は教会に絶望的になったという。

重信メイさんも同じように豊かな国に帰国 してから生まれた中東の現状を見て絶望的になる。アラブ諸国の現実は厳しい。大阪釜ヶ崎の野宿者支援活動する本田神父も同じく嘆く。解放の神学とか貧しい者への福音とか高唱するが、本当にわれわれは低きに立つ神の側に立っているのかが問われる。


2011/12/18  荒れ野の40年に思う (詩篇95:1~11)

詩編95編は、イスラエルの民がエジプトを出て、荒れ野の40年の時代を振り返って、「荒れ野の四十年に思う」ことを記した主への賛歌である。40年の生活がどんなに恵みであったかということであるが、「荒れ野」とは、土地は痩せ、人間を寄せ付けない暗さ、寂しさ、貧しさがある。主はそこに民を導き、養われて行く。人間が全てを主に委ねて生きることを、この荒れ野の出来事に見る。

8節以下に神の「怒り」が記される。あの荒れ野での40年に対し、神の「怒り」は何を意味しているのか? 何故イスラエルの民は、神の怒りを買うのか? 神は、エジプトからの救出のために、次々に不思議な御業をあらわした。海を二つに分けて民を前進させた御業には、どれほどの驚きと感動と感謝が満ち溢れていたことか。またその後、荒れ野においては、苦い水が甘い水へと変わる出来事があり、手持ちの食料が尽きるとマナという不思議なパンが天からを降ってくる。肉が食べたいとダダをこねれば、空からうずらの鳥が降って来た。しかし、その奇跡を目の当たりにしてもなお、民は神の「道を知ろうとしなかった」。…何故か?

それは、民が“出来事”のみに心の満たしを見ていたからであろう。結果の良し悪しのみに心の満たしを見ていたからではないか。では、どう生きるべきか? 7節の終わりに、主の「御手の内にある羊」として委ねていくには「今日こそ、主の声に聞き従わなければならない」という。主の“奇跡”にではなく、主の“言葉”により頼んで行く。神の言葉に生きるということである。

福音書に、イエスが荒れ野で40日間断食し、悪魔の試みに遭うというのがある。悪魔は、空腹のイエスに「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と奇跡に生きるようにと言う。しかしイエスは、「人はパンだけに生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉に生きる」と悪魔を退ける。まさにイエスは、奇跡にではなく、神の言葉により頼んで生きることを勧めておられる。
荒れ野の40年の歩みは、主に委ねて生きる、神の言葉に生きることの準備期間としてあったことを40年の狭間に見て行きたい。(神谷)


2011/12/11 神の言葉はとこしえに立つ (イザヤ40:1-11)

「慰めよ」、この言葉は遠く離れた捕囚の民に向けられているのでもなく、エルサレム神殿の廃墟に向けられている。捕囚の民にではない。この言葉の先には疲れ果てた民がいる。信仰は萎え、希望はしぼみ、そのいのちは野の草のように風に揺れている。「慰めよ」とは、それを克服させよ、であり、立ち直らせよ、である。歴史的背景でいえば、バビロンへの敗北がある。ある意味では、それは神の民への裁きであった。ところがその神が「わたしの民」と呼び直す。変節ではない。預言者らの裁きの預言が貫徹されたのである。神は民を撃ち、いやし、赦される。慰める。倒して立ち直らせる。慰めは神から来るのであり、人間のうちにない。

ここには一本の道がある。一方通行でなく、相互通行である。対向車線はない。神が共に進まれるのである。高いものは低くされ、低いものは高められるのである。これは単なる平等とか平均化の美学ではない。人類の将来が志向されているということである。会堂内を照らすような小さな光ではない。天地を照らす栄光の光である。アドヘントはそうした目標を前途に持つ季節。しかしまだ途上である。気が遠くなるような荒野の荒廃した旅、がれきの山を越える様なものかも知れない。今東日本の人たちはまさにそうした立ち位置に立つ。手の施しようのないがれきの山があり、遠くの栄華の夢のあとかもしれない。主は再建への命令を下す。これはまさに「よき知らせ」である。福音である。慰めである。

過去の記憶だけではない。新しい記憶が刻まれていく。主はわれわれに帰還を求めておられる。新しい出エジプトがそこから始まるから。バプテスマのヨハネによりわれわれの歩みは始まる。歴史の再解釈である。アドベントの意味がここにある。「草は枯れ、花はしぼむ」。しかしそこには「神の言葉はとこしえに立つ」という事態がある。時代は激動する。歴史は変転する。これは生ける人間の現実である。だれも逃げることはできない。神の言葉だけが屹立する。クリスマスのメッセージがここにはある。第二イザヤの使信である。イザヤは詩編23編を呼び起こし、100編、エゼキエル34章、ルカ15,ヨハネ10章を呼び起こす。


2011/12/4  涙の預言者(エレミヤ36:1-10)

預言者エリヤは預言者のなかでも親しまれている一人ではないか。新約を示唆した人物であるからであろうとされる。彼はイザヤと違い自ら名乗り出て預言者になったのではない。しぶしぶと従った田舎預言者の息子である。その経緯は20章に詳しい。生まれたことも呪い、嘆き、悲しんだひとである。ゆえに偽預言者の権力集団からも同胞からも疎んじられた。悲劇的人物である。古代中東の激動期に、祖国の滅亡、バビロン捕囚を目の当たりにした。彼自身はエジプトに流浪していく同胞と行動を共にした。その苦役は40年に及んだ。しかし神はその彼を召した。内村鑑三が「涙の預言者」と呼ぶ所以。

そうした祖国の危急存亡の事態に、神は度々、エレミヤに向かい王と同胞への警告をせよ、と命じた。再三再四呼びかける。なんと忍耐強い神であることか、堪忍袋の緒が切れたとは言わない神。「ヨシヤの宗教改革」も「申命記改革」も効を奏さない。あまつさえヤハウエ宗教も異教化する。ついにエルサレム陥落を迎える。2回目のバビロン捕囚となる。そうした歴史の流れの中20年が経過する。また神はエレミヤに語る。もう一度、民に立ち帰る機会を、というのである。

エレミヤ書は福音書でなく、まして、彼は救い主でもない。ここには渾身からの神の働きかけがある。600年後のキリストの十字架を彷彿とさせるが、彼はキリストではない。しかしこの悲運の預言者はやがて来るメシヤのキリストを志向しているといえる。この時の民の状態について、「ユダの罪と罰」、「人の心は病んでいる」新共同訳、「心は偽るもの、とらえがたく病んでいる」カトリック訳、岩波訳も舌鋒鋭く「病んでいるこころ、たばかるもの」と訳している。こんな時代がイスラエル史にあったのである。

翻って、現代のわれわれの時代の人間の精神状況はどうなのかと問われるであろう。宗教の状況はどうか、教会は歴史を担えているのか、と問われるであろう。去る平和研の連続講座での私の講話のあと、ある著名な牧師がバプテストだけの問題ではありません、というコメントが印象に残る。仏教者の宗教学者菱木も言う、戦争犠牲者を英霊として靖国に合祀する宗教に果たして正当性はあるのか、と。


2011/11/27 現代のイスラエル (イザヤ51:4-11)

「わたしの民よ」とイスラエルに向かい神は呼びかける。それに対して民は「わが神よ」と応答する。民への神の祝福の約束がこのことばの中にあるといえる。これはあのアブラハム、イサク、ヤコブへの約束の言葉でもあった。このことは、現代のイスラエルとされる教会とわれわれキリスト者への約束でもある。この喜びにわれわれというのは生きる。アドベントを迎えてそのことを今一度確認したい。マルコ16:16の言葉のとおりである。そこには当然与えられた責務がある。聴き、従う、という責務である。これは決してブライベートなことではなく、公のことなのである。それが歴史の生ける現実の中の人と人との絆で生きる共同体なのである。人は一人では生きられない所以。われわれ人間の言葉、人間の見解だけが、教会を支配しようとする危険は避けねばならない。詩編23編もそのことをわれわれにそう示唆する。

また「裁き」ということばであるが、これは神ご自身の存在そのものの表現である。ここは「わたしは救う」という救いの恵みと慰めが語られているのである。聖書では当然ではあるが、徹頭徹尾そのことが明確にされる。そういう信仰理解の上に立つとき、われわれというのは「人間らしい生き方をしている」ということになる。神とはどういう方なのか、人間とは何者か、という正しい理解の上に立つことが肝要である。分をわきまえるということ。

預言者は出エジプトにも言及しているが、これはどういうことか。これが人類史上の初めての救いの出来事であったからである。この出来事でイスラエルは神の民となったからである。イスラエルの原点であるから。そこでいつもこの歴史の原点に立ち返るのであろう。そこから神の恵みと慰めは来るから。未来への希望も展望も開かれるから。信仰の原点に常に立ち帰ること、そのことをわれわれもゆめゆめ疎かにしてはならない。

同時に、神が混沌の世界を制し、救われた、ということはイエスの十字架によるものであることの証左でもある。今年もまもなく降誕祭を迎える。


2011/11/20 神と共に歩む (ミカ書104:13~18)

ドナル・ドール著の『時代が求めるキリスト者の生き方』という本がある。この著書の 中に、ミカ書6章8節の御言葉を用いて、キリスト者は「どう生きる者なのか」と問う。 このミカ書の「正義を行うこと、慈しみ愛すること、へりくだること」の3つは、どれが欠け ても劣ってもならないと厳しく語っている。
何故、著者はそう厳しく語るのか? それは、 キリスト教界がこの世に登場してから、何をしてきたか? と言うことに答えがある。 教会は、ローマ帝国の国教会、ローマの宗教とされた時、ものすごい勢いで、発展・ 普及した。世界の宗教界の筆頭こ挙ずられるほどにキリスト教会は成長した。しかしそ のことは同時に、国家の権カ者によって先導(利用)される、神なき教会に成り下がっ てしまう。そのことが宗教改革という歴史を動かす状況が生まれたのだが。バプテスト 教会もまた、イギリス国教会からの抵抗として誕生した。今年はちょうど400年に当た る。そいうバプテストもまた、権カ者によって先導されるということが起きている。ある 意味、教会が大きくなることはそのようなリスクが伴うと言うことなのかもしれない。 著者は、そういう歴史を踏まえる中で、キリスト者は、教会は、3つの領域をバランス をもって現代世界において立つことが大事であると言う。

3つの領域とは、1つ目。個人の内面的領域、神の存在を知り、神の光に照らされ て自らの影に気づかされていく、自らの罪に気づかされていくこと。神と罪人の関係にあることを知り、罪人であるにもかかわらず、赦され、愛されていることを受けて、へり くだることを知る。神と私との関係。2つ目。個人の対人的領域、人と人との関係。人と 人との関係において「慈しみを、愛することを」大事にしていくこと。神が私たちを愛さ れたように、人もまた、関係の中で、「慈しむこと、愛すること」を大事にすること。そし て3つ目は、個人の社会的領或。地域社会、国、国々の状況に目を配り、「正義を行 う」ということ。眺めるだけでなく、関わっていくこと。また教会は、社会と共に歩み開か れたところであることが大事であると言うこと。
そういう3つの領域、神と私との関係、人と人との関係、社会と私との関係。あるいは 社会と教会との関係。それがバランスよく持ち合わせることが、キリスト者にとって、教 会にとって大事なことであると言うわけである。(神谷)


2011/11/13 信仰の途上で (出エジフト6:2-12)

普段、旧約聖書をテキストにして説教することは余りない。前回モーセとヨシュヤの指導者の世代交代という視点から読んだが、今朝は教会暦がアドベントにやがて入ることもあり、終末と審判ということも念頭に、信仰に生きる思いを深めるという視点から読んでみたいと思う。今朝の聖書は「神はモーセに語った」という言葉で始める。ここはモーセに至るイスラエル史の神学的総括でもある。またモーセから始まるイスラエル史の歴史の神学的予告でもあろう。こうして「モーセ物語」はまとめられていく。神は今や「語る」神である。これまでイスラエルに「あらわれる」神は語る神となる。

そこで大事なことは人間側の「聴く」という対応である。これだけが肝要である。「神が語り、人が聴く、従う」ということである。こうして神と人の相呼応する原関係は確立される。創世記から神はいろいろな名前で語られてきたが、「ヤハウエ」主―として確立し、ヤハウエからキュリオスへ、ユダヤ教からキリスト教へと確立されていくことになる。「主」とはある関係を示唆している、つまり「主と僕」の関係である。「契約」「約束」はまだ完結していない。今まさに現在進行中の事態である。歴史の主として今も働いておられるのである。つまり信仰はつねに現在進行形なのであり、われわれの信仰とはつねに途上にあるということにほかならない。神とモーセがそうであったように。完了形の信仰というのはない。そのことを承知しておきたい。

関係とはつながりに他ならない。知的認識や承認以上のものである。関係はまたつながりであり、絆でもある。今、この国で絆が叫ばれている。言葉の真の意味で絆の確立をしたいものである。イスラエルに関して言えば、聞き取るのに疲れ果てていたのであろう。意欲すら失っていたのであろうか。救い出すという神のことばも 耳に入らなかった。それでもなお神はモーセに語り続けるのである。

今、教会暦の一年の終わりにさしかかり、われわれはモーセのことを思う。執拗なまでの神のモーセへの召しである。聖書にいろんな召しが語られる。アブラハムの召しから預言者の召し、使徒の召しである。われわれにも神の召しはある。


2011/11/6 歴史は前進する (申命記34:1-12)

最近になり母教会を離れて50年経ち、改めて世代交代が進んでいることにある感慨を覚えている。モーセにもいよいよその時が来ました。自分は約束の地に入れないな、と感じたのです。健康的にも、脳の働きも衰えています。民も「まだやれ」と言います。しかしモーセはここまでです。世代交代の時が来たのです。歴史は停滞するものではなく、前進するものです。歴史の主がそうされるのですから。ヨシュアとの交代を神はよしとされたのです。エジプトで王家に育ち、その後、神に召されてイスラエルを解放する指導者としてたてられる。自分から進んで選んだ道ではありませんでした。エジプト脱出も荒れ野の旅も民と共に歩みました。ゆえにこそ約束の地に入ることは切なる望みでした。しかし神はそれを許しませんでした。約束が成る時、モーセはピスガの山に登りました。そこで神は約束の地に入るのは許しませんでしたが、その地を眺望することを許したのです。「見るだけ」という切なさを味わいました。

モーセは死にました。約束の地を目前にして。これが人間の死の現実というものです。過酷ではありますが、神の歴史であれば受け入れなければなりません。一人のひとがすべてを完成させることはできません。神が歴史の主であり、導かれる方もまた主です。「まだやれる」、「まだやれ」というのは人間の思いです。このことから教会における牧師交代のことも考えることが出来ます。われわれ人間の思いだけが先走ってはいけないのです。すべては時がありますから。神のみこころは指導者の交代にありました。世代交代です。 歴史は前進するものです。停滞させてはいけません。


歴史は前進する。「はじめ」を与えられた神は 、「おわり」も与えるのです。人間の思いや都合で停滞はゆるされません。人間の集まりですから、教会における牧師交代の際に多少の混乱があることは良く聞くことです。世代交代の際に、気をつけねばならないことです。歴史の前進を人間が阻んではなりません。ましてや停滞然りです。神のみこころは歴史の前進です。


2011/10/30 巨大なる問い (創世記2:4-9,15-25)

創造物語と二章以下が異なる時代背景と状況で書かれた書物であることは、その文体や思想の違いから明らかである。創造の中心的存在として人間がおり、また人間は、他の被造物たる生き物に責任があり、そこから日々の糧を得ていることも事実である。だからと言って、日々の糧のためにあくせくして生存競争に走るのも人間本来の姿でないことも事実である。《耕す》とは、祭儀や礼拝、文化を生み出すものである。そこからいのちを養う方への礼拝へ導かれる。《生きる》とは、《労働》、《仕える》ことを意味する。つまり人間とは何者なのか、ということであり、ここには失われたいのちはどうしたら回復できるのか、と言う《巨大なる問い》がある。つまりキリストの救いのわざの大事さが分かる。問いの答えは神から来る。旧約聖書とは、その問いの答えを探し続ける書物なのである。

神が人に最初に語りかけたのは禁令。死んではならないと言う禁令である。「生きよ」と言われた。これは人間の行動の自由を拘束するものではない。またここで言う《善悪》は倫理的な善悪ではない。《地上のあらゆる出来事を知る》能力と言う意。そうした本来の神の戒めを踏み外すとダビデのような悲惨な人生の終わり方をする。われわれはそういう人生の終わり方をしないような生き様をしなければと、ここから読み取れる。二章に人間は完成形となり、三章の堕罪以後、それが崩壊していく様を見るが、人間とは罪を犯しながら成長して行くものと分かる。人間とは、《カインの末裔》であり、神のゆるしと恵みをとうして救いに導き入れられるものである。

「地を耕す」の神学的意味は、神のゆるしを得た者として、この地にあるあらゆるいのちを生かして行く使命がある。人を愛し、ゆるし、み子イエスの救いをあかしするつとめがある。「カインの末裔」ではあるが、最初の人間たちのように赦されたものとして、お互いに赦しあい、受け入れあうことに他ならない。今、歴史の現実を見るときそのことを痛切に思わざるを得ない。世界の激動の中、宗教の果たす役割が問われている。「中東の春」のみならず、「世界の春」を祈りたい。


2011/10/23 神の勝利宣言(ヨハネ黙示録7:9~17節)

黙示録は余り読まれないのではないか。何かオカルトじみた予言書、SFファンタジー映画みたいでもある。だから黙示録を読み解くのはだいじである。歴史的背景をいえば、ローマ帝国の迫害と弾圧、いかがわしい魔術の影響などがある。苦難を前にして、救いを求めていたのであろう。どんな人でも苦難を前にすれば、否定的な思いに駆られるのである。今、国難と言われる苦難を前にした人たちが明日の希望をどう描くか思い悩んである。その人たちに希望の糧を与える聖書の読みはないか。

世界に広がる民族主義的運動がある。政権崩壊もあり、世界的金融危機もある。この国にも他人事ではない。ナショナリズムの高揚があれば、多民族への差別意識もあるであろう。9節以下を見れば、神の救いが世界にあまねく、神の心はそんなに狭いものではないとわかる。そこでわたし自身の今日と明日の生活と人生に連関点を読み取り、日々の信仰生活の糧とすることである。

10節以下は、あのイエスの最後のエルサレム入城の光景を思わせる。いかにもオリンピツクで金メダルを取り、勝利の雄叫びをあげるようなものである。しかしここは自分を賛美する勝利の賛美ではなく、神賛美であることに意味がある。信仰の勝利は神賛美の雄叫びに他ならない。また、ここの「竜」は人間の自己賛美の姿であろう。13章の二匹のゴロテスクな獣の本質もそこにある。

あくまで信仰の事柄は神、キリストが中心である。天使たちでさえ神賛美しているではないか。そういうことからもわかるように黙示録の中心、主人公は神、キリストである。勿論、われわれ人間側の努力や忍耐もだいじであるが。これとて神の恵みとゆるしの賜物に他ならない。われわれに必要なあらゆる人間関係、体力、環境、アイデア、援助なども神の恵みに他ならない。あのキリシタン時代の苦難と殉教を思えば、現代のいろんな災難、国難も苦役には違いないが、明日を開く知恵は必ずあるはずである。それゆえただ失望、落胆ばかりしてはおれない。明日を開く知恵を借りて未来を開きたいものである。神は必ず慰めと共にわれわれを明るい未来へ導くであろう。神は慰めの神、希望の神!


2011/10/16 神はわたしに笑いをお与えになった(創世記21章1~8節)


サラは《神はわたしに笑いをお与えになった》という。「笑い」には主に二つある。思いがけない出来事を通して与えられる嬉しい笑い。もう一つは、相手の馬鹿げた発言、行動に対する嘲笑する意味での笑いである。この二つの笑いには、大きな違いがあるが、サラはその二つの「笑い」を経験する。
先ず今日の箇所では、アブラハムとサラとの間にやっと子を授かったことが記されている。どれほど嬉しいことであったか。家父長制の社会にあって、子を宿さずにこの群れにいることがどれだけ肩身が狭く、辛い状況に晒されていたか。《サラは言った。「神はわたしに笑いをお与えになった。」》とあるが、サラはこれまで本当の意味での「笑い」は、無かったのかもしれない。

しかし一年前、神がサラに約束をした時、サラはもう一つの「笑い」をしていた(創世記18:10以下)。すなわち、神を嘲笑ってしまう。不妊の女である自分に男の子が生まれるという約束を耳にした時に、サラは「笑った」のであった。サラは、神様の約束を信じることができなかったがゆえに、その約束を笑ってしまう。人間は弱さゆえに、神を信じきれず、神の約束を、いや、神の存在をも嘲笑う者である。
この「神を嘲笑う」とは、人間の現実の社会の中でしか生きられない状況が言い表されている。人間が現実の社会の中だけで生きている者であれぱ、仕方のないこと。しかし、そういう現実の社会だけを見、そこだけで生きることは、神からの希望、喜び、笑いは訪れない。人間の側だけしか知らない人には、神の約束は“笑い事”でしかない。

しかし信仰とは、人間の側に立ちながらも、神の側こ望みを置いて生きることである。そして、そのことのゆえに人間の側こありながら、神の側に生かされることである。
サラが言う「神はわたしに笑いをお与えになった」という恵みは、今の私たちにも、神様がくださる恵みである。どのような形での「笑い」かは分からないが、私たちにもきっと豊かな「笑い」が、神様から与えられるものである。現実の杜会に生きながらも、神の側に希望を置きつつ歩んで行きたい。   (神谷)


2011/10/9  等身大に生きる (ペテロ第一4:7-11)

本書は、ペテロ殉教直前の書とされるが、異論はある。ここには万物の終わりの切迫が勧告される。イエスの出来事の基本線は終わりが近い、ということであるが、万物はすべてが生から死へと向かう。例外はない。あの栄華を極めたローマ帝国も崩壊したから。万国津梁の心を存分に振い、世界に雄飛した琉球王国はたかだか400年。今、現実に環境問題、原発事故、資源の枯渇、戦争の危機がある。国難続きのこの国である。

がしかし万物の終わりというも今すぐ世界の破滅というのではない。≪終わり≫テロスは目的、目標、結果という意味もある。イエスが十字架で≪すべてが終わった≫テテレスタイ≪すべてが成し遂げられた≫と言われたのは、むしろイエスが歴史の支点として、闇から光へ、絶望から希望へ、滅びから救いへの転換点であり、キリストの勝利は明らかとなり、悪は打破された。

われわれにはそういう時の理解が大事である。初代教会時代にまじめで、しらふで何かに心酔しないでもセルフコントロールできる生き方をしたのであろうか。つらい人生で人は何かに心酔しないでは生きられない。仕事や事業に酔い、富や権力に酔い、イデオロギーや思想信条に酔う。ギャンブルや趣味に酔う。マインドコントロールする悪徳宗教も現れる。

人生で何が重要なのか。優先順位をつけるとすれば何が大事であろうか。それは愛である。A・デーケンが言う、人は心の奥の能力の大部分を置き去りにして、老年になり、心の奥の置き去りにされた未開拓の能力に気がつくというのである。データによると、ほとんどの人が50%しか活用していないともいう。悪くすると10%しか生かしていない場合もあるとも。魂の奥の部屋の大部分が閉鎖されたままであるとも。だとすればわれわれキリスト者は神からの賜物であるカリスマをどれだけ活用しているだろうか。われわれには今すべての人が等身大に生きることが求められている。魂の奥の部屋の未開拓部分の大部分を残して人生を終わろうとするのか。私とは何者か、人間とは何者か、改めて問いたいと思う。等身大の人間に!

 



2011/10/2 ここからあそこへ (ローマ13:1-10)

今朝の聖書の箇所は議論の多いところ。そこに政治神学がからむからである。つまり、ここに国家論の起源を読んで来たからである。今ではむしろ12章のキリスト者の生き方と関連して読む。現在の「ここから」未来への「あそこへ」の間のこと、現実の、今のわれわれの生き方を問うこととして読む。
国家論はここにない。パウロはそんなことを意図したわけではない、という。≪この世と妥協せず≫生きるのが終末までのキリスト者の、教会の歩みの基本線である。パウロはここで政治神学を論じているのではない。われわれの日頃の歩みは、「ここから」「あそこへ」の生きるヒントを求めて、聖書を読むのである。世に人生論はあまたあるが、キリスト者の人生論はここにしかない。

ただそうは言うが、パウロは「神に由来しない権威はない」とも言う。≪上に立つ権威≫の解釈である。この世のどのような権威も神の前では相対化されるということ。つまりいかなる権威も神にはなれないという。否、なってはいけないのである。神とすべきではない。皇国史観による天皇の神格化、英霊の神格化が批判される所以である。
今、八重山での教科書選定問題がある。政治家も絡んでいるから深刻ではある。教育現場の声に耳を傾けない教育委員会も問われている。明らかに保守化の道をあゆもうとしている。また、皇国史観による皇民化教育、軍国少年育成を目論むのか。教育現場にまた二宮金次郎と奉安殿への敬礼、を強要する時代にしようとするのか。

パウロは政治神学を論じてはいない。「ここから」「あそこへ」向かい旅するキリスト者の生き方を論じているのである。それ以上でもそれ以下でもない。保守の政治、国家政策を論じたわけでもなく、共和制を論じたのでもない。また良くするようにここから「抵抗権」を導き出そうとするのでもない。事柄は、礼拝の問題であり、礼拝から始まるキリスト者の生き方の問題なのである。
われわれというのは、権威に従っているようで、自分の好みに従っている。これは信仰でもなんでもない。ただの人間の好みでしかない。この世のすべての権威はあらゆる権威を相対化できる神の視点だけであることを忘れてはならないであろう。すべての権威は神による相対化を経た一つの機能に過ぎないというのが、パウロのここでの大事な論点である。



2011/9/25 民が求める神 (出エジプト32:1-14)

偶像対神の幕屋  

モーセ不在の間、「金の子牛」建設計画は「神の幕屋」と対峙するものである。皮肉な色合いさえ見える。このことはやがて神の隣在喪失感へと繋がりかねない。ここで十戒の重要な戒めが犯されることになる。神への不忠である。出エジプトの出来事はイスラエル史の大事なキーポイントである。ここには神ご自身と御使いとの混同がある。これは宗教文化全般において珍しいことではない。信仰共同体にとりまま起こることである。幾度かイスラエルはそういうことを繰り返してきた。そういう歴史の繰り返しであったことは聖書の示すところである。

リーダー不在  

今話題の「なでしこジャパン」は、リーダーの資質をこの国に問いかけている。マネージメントの問題である。政治の世界でも今問われていることは周知のこと。「リーダー不在」では?とも言われた。ここ6年で5人も国の指導者が交代したのは国際関係にも暗い影を落とす。聖書の物語はまさにそのことをわれわれに問うている。モーセ不在の間の民の無様な様相とダブルのである。
32章はモーセが一人山に登りその不在の間の問題を言う。指導者不在の問題である。民は不平不満タラタラなのである。そこでアロンに詰め寄る。アロンは民の要求に応え、「金の子牛」を偶像とする。出エジプトの神に替えて偶像を仕立てた。リーダー不在となれば理の当然であろう。とは言っても民は完全にヤーウエの神を忘れたのではない。ただ、目に目えるものが欲しいだけである。手に触れるものが欲しいのである。


民が求める神  

リーダーのモーセ不在に民は不安を感じたのであろう。目に見えるリーダーを求めたのである。出エジプトの業も主ではなく、モーセだと感じていたようです。そこに偶像崇拝のつけこむスキがありました。当然ですが、主は怒ります。民を滅ぼしつくそうと考えました。そこでモーセは懸命に主をなだめようとします。失いかけた共同体の回復につとめます。
偶像とは、目に目えるかたちだけを言うのではなく、現代にかさねて言えば、正義のための戦争も偶像崇拝になります。聖戦というのはありませんから。人類というのは常にそういう危険にさらされています。生ける主を求めましょう。


2011/9/18 後ろを振り向いたロトの妻 (創世記19:1-29)

神は、ソドムとゴモラの町が滅ぼされる時に御使いをおくりロトの家族は逃げるように指示した。≪命がけで逃れよ、後を振り返ってはいけない。・・・≫ところが、逃げる途中、ロトの妻は後を振り向いてしまい、彼女は塩の柱になってしまう。彼女は何故後ろを振り向いてしまったのか? 
ロトの妻は、町に残した家財、名誉に心残りを覚えたのではないかと言われる。

ルカ福音書17章に≪ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである(32,33節)≫と。聖書にはロトの妻の名前が出てこないが、その理由にこの世のものに未練のある生き方の象徴としてロトの妻があると言われる。「塩の柱」は無益な人生になってしまうと言う出来事の象徴として見られている。
ただそうは言っても、何か腑に落ちない。何故、ロトが塩の柱にならずに、妻なのか?少なくとも世の女性は思うのではないか。

一色義子著『エバからマリアまで―聖書の歴史を担った女性たち―』の中で、「彼女が神様の戒めをおろそかにしたということは確かに否めないが、わが身が安全だと気づいたその瞬間、思わず愛する者の姿が心に浮かんだのではないか」と言う。この「愛する者の姿」とは、あのソドムに置いて行くしかなかった、嫁いだ娘たち、その婿たち、そしておそらく居たであろう孫たち。14節、ロトは嫁いだ娘たちの婿のところへ行き、ここから逃げるように促すも、「婿たちは冗談だと思った」と記されている。

著者は、そういう背景の中で「ロトの妻は、あの硫黄の火が降るソドムに嫁いだ娘たち、頑固にも神様の警告を無視した婿たちのゆえに、孫もろとも一家が破滅するそのさまに耐えられなくて、思わず、痛ましい思いと愛の心で、家族を思って振り返ったのではないか」と記す。その視点で見て行く時、あの「塩の柱」とは、世の蔑まされてきた名も無き女性たちの悲しみ、憎しみ、そして優しさ、愛が、その「塩の柱」に象徴としてあるのではないかと思わされる。(神谷)


2011/9/11 主の救いを見よ (出エジプト14:5-18)

紅海渡河  

映画「十戒」で有名な場面。複雑なテキストとされる物語である。
詩的形式とも言えそうで、色んな資料で構成される。イスラエルの民を「主は寝ずの番をされた」(12;42)。神と民は一心同体となりエジプトを出る。ここはリタージカルな素材で囲まれているのである。
民とエジプト軍が神認識に導かれるようにと構成される物語。14章はまさに歴史的出来事とするとともに、リタージカルな出来事にしている。イメージは確かに互いに調和しないで神の民救出の多面的様相を示す。紅海渡河は印象主義的絵画である。
または紅海渡河は出エジプトとは区別され、のちの荒野体験の始まりともされる。リタージカルな編集と神学的考察で過ぎ越しと渡河は1つに統合される。神学的には、過ぎ越しと渡河は贖いと創造を1つにしている。

主の救いを見よ 

民は絶体絶命の危機に立つ。ファラオが追いかけてきたのである。苦役の動労力を失うことを後悔したのである。しかしモーセは言います。「主があなた方のために戦われる」(14:13)と。
ただここで注意したいのは「主が戦う」ということをスローガンにしてしまうと悲劇を招きかねません。ここにはイメージとしてキリスト教の伝統からキリストの十字架と復活信仰を保持している。出エジプト記がイースターによく読まれる所以。
つまりここは宇宙論的物語として読む。一民族限定のものではない。それでこそあの過ぎ越しは意味を持つこととなる。
この出来事で民は海辺での猛り狂う死への恐怖から信仰と静寂な礼拝へと転じる。われわれの今日の礼拝にもそういう意味合いがある。

神の入念な戦略  

神のレベルでいえば、ここでは神の入念な戦略があることを強調する。と共に人間側の入念な備えも求められる。
神が成そうとすることはすべて自動的に万事うまくいくということではない。ここの構成は、ヒトラー主義とも言える抑圧者が撃破されることで、神に最後は栄光が帰されるということに他ならない。重要な現代へのメツセージでもある。
イスラエルが生命の危機に立つときに神は民に味方されたのである。それはしかし先ほども出たように万事自動的!にということではない。
信仰とは、オートマチツクなものではない。われわれの信仰告白と賛美が優先することを忘れてはならない。応答関係である。



2011/9/4  記念としてのリタジー (出エジプト12:21-28)

過ぎ越し、過去と現在  

ここはリタジーについて神が語るという物語構成である。解放されたイスラエルの民は、新しい時代状況に即した習慣と制度を作ろうとする。過ぎ越しは解放にかかわるリタジーである。リタジーは文学の方向つけだけでなく、出来事そのものを方向つける。リタージカルな祭儀規定で出来事は起こるもの。出来事そのものがリタジーである。
ここで神は1つの過酷な決断をされる。エジプトへの災いの宣告である。全土の人間はもち論すべての動物の初子が死んでしまうというものです。イスラエルを救うための最後の手段です。ここにはイスラエル史の過去と現在が過酷な出来事で描写されているのです。まさにフィクションではなく、歴史の具体現実で起きたことなのです。

イスラエルが撃たれないために  

過酷な出来事ですが、すべては神の支配のなかでのことです。さらにモーセは羊の血を家の鴨居と入口の柱に塗ります。その血を見てイスラエルの子を撃たないためです。過ぎ越すのです。
ちなみに沖縄に古い時代に「シマクサラシ」という行事があります。これは不思議な一致で詳細は不明。琉球民族がイスラエルの末裔ではないかという論もありますが、それは短絡したものです。
ここはイスラエルが過去の救いの出来事を忘れないためのものです。世代から世代へ語りついでいくためです。沖縄にもその祭りに類似した祭祀があつたということは注目すべきではあります。他にも岩手や岐阜にも「マリヤの里」というのがあり、岩手にはマリヤの墓とされるものもあるという。おそらくキリシタンの遺跡ではないか。


儀式祭祀の意味  

バプテストにはそれなりのリタジー理解がある。つまり儀式をある出来事の象徴とする理解である。バプテスマと主の晩餐の二つの儀式があるだけであるが。ここの過ぎ越しは、名もない恐ろしき存在が町をうろついていて命を狙うのであるが、それを血で魔除けにするというもの。いかにも恐ろしい祭儀ではある。沖縄にもシマクサラシがるということは、そういう祭儀が世界各地にあるということであろう。時代おくれの祭儀というのでなく、そのリタージジカルな神学的意味をとらえることが大事であろう。



2011/8/28 降りてくる神 (出エジプト3:1-22)

履き物を脱げ  

われわれは「天にいます神」という。しかし神は天に浮遊するのではない。われわれのところに降りて来る神である。モーセは自分のルーツで悩んでいた。エジプト王家の家族の一員となるが、ルーツがついて回ることはどうしようもない。ここでモーセの召し物語、神顕現物語は信仰共同体を魅了し続けることになる。物語は、1.顕現、2.導入、3.派遣、4.反論、5.再保証、6.しるし、という展開を見せる。これはギデオンの 召し、エレミヤの召し、に共通し、預言者的パラダイムを見る。神の言葉の伝達者としての召しは、モーセがはじめである。ここは神学的に重要である所以。口ごもるモーセに神は語りかけ、モーセは譲らない。神と人の関係は受動的であるだけではない。応答関係である。召しと献身とはそういうもの。ここでは人の洞察力が求められる。「履物を脱げ」は畏敬の念を表せ!ということ。

降りてくる神  

神はエジプトにいるイスラエルの民を「わたしの民」と呼ぶ。そして民の苦しみの声を聴く。われわれにはわが民の声が聞こえているだろうか、と問われる所以。神は民の苦役の声を聴く。そして民との契約を思い出す。そこで口ごもるモーセを召し給うのです。まさに神は降りて来る神です。モーセもその契約の民の一員ですから。部外者ではありません。神は「エジプトへ降って行く」のです。そして器としてモーセを用いようとされるのです。しかしモーセは口ごもるのです。献身と応答にはそういう輪郭があります。名護の場合はすんなりでしたがー。

わたしは何者か  

ここの「わたしは何者でしょう」は、「あなたは誰ですか」という問いとなる。これは疑いや敵対意識ではなく、将来への展望を意味している。人の問いかけで神は応答される。しかし神の一方的なリードではなく、人との相互作用である。神が何を啓示されるかは、モーセが求めるものが何かという人との相互作用なのである。神の啓示は人間の現実具体状況と結合する。「汝は知るにつれ、汝が知らぬことを一層知るようになる」。(格言)
ここでモーセの派遣とは、ファラオのもとに赴くことである。これは民への派遣でもある。われわれはどこへ赴くのか。教会はどこへ赴くのか。

 


 

2011/8/21 それにて止めよ(マタイ5:9) 

(本日は金沢文庫バプテスト教会(神奈川県)の白根新治牧師によって説教奉仕していてだきました。白根牧師は当教会の名誉牧師です。以下に、説教の内容メモを掲載させていただきます。)

私は幼少期、父に連れられて川崎大師の除夜の鐘を聴きにいったりするという、ふつうの日本人的な風習のもとに育ちました。が、中学になって関東学院の付属中学校に入学し、はじめてアメリカ式の礼拝に接し、ずいぶん変わった印象を持ちました。

ところで、私は昨年妻を天に送り、さらに妻の妹も召されたのですが、その葬儀で「万歳」が三唱されました。日本人の感覚からしますと、ずいぶん変かもしれません。が、かつて内村鑑三が愛娘ルツを召されたとき、同様に「万歳」を唱えたことがありまして、門下生矢内原忠雄を驚かせたそうです。私はそのこと知っていましたが、実際に妻と妻の妹が召されるという経験によって、そのことを得心することができました。

私がキリスト教に出会ったのは中学のときですが、そのころ私は『大地』の作者パール・バックに惹かれ、尊敬を覚えました。が、彼女の生涯はかならずしも幸運であったわけではありません。離婚もそうですが、知的障害の娘を持ったことは、彼女を不幸に落としめました。しかしやがて彼女は、その娘のなかに神の栄光を見出していきます。

内村鑑三にせよ、パール・バックにせよ、このような経験はどこからくるのでしょうか。私は、神の計り知れない御業を思わずにはいられません。これらの出来事は、日本人の感覚からは程遠いと思われるようなことですが、子供のころに接したこのような出来事が、いまになってその意味を明らかにしてくれるのです。
じつに「神在りて、我在り」、そのことを深く覚えるものです。 (筆記者 竹内)


 

2011/8/14 キリスト告白と平和 (エペソ2:11-22)

敗戦から66年。私は「10.10空襲」直後に疎開したので戦争体験はない。叔父親子4人と祖母が犠牲になる。
8月、広島、長崎原爆忌があった。それに福島の原発事故。手元のトルーマンの「回顧録」に原爆投下までの詳細が記されている。今、原子力エネルギー問題は世界の注目の的となる。それをどう安全に利用するかが問われる。なぜ日本は負ける戦争をしたのか。いろいろの理由があるとされる。ともかく戦争は終わり、平和な時代が66年続いた。戦後民主主義の時代。いろんな課題は山積する。

そこで今朝の聖書であるが、ここは11-13、14-18、19-22の三部からなり、「以前の罪」と死への実存状況がイスラエルの現実具体状況との関連で説かれる。「以前」と「今」との対比で語られる。キリストがあるかないかの対比でもある。ヘレニズム・ローマ社会は神々との調和に満ちていた。政治と社会は現代よりも深く宗教と関わっていた。ここで語られる「一致」は、ここの大事なテーマであるが、この一致は神は一つ、二人は和合する、人格の統一性、共同体の一致、つまりは和解ということ、思想、信条、神学の一致の一致というだけではない。「平和」はおよそ聖書では戦争のない時期であり、「シャローム」と同義である。神と人、人と人、との関係を指す。ここでは平和が人格化されているのである。

さらに言えば、ここでは互いに不寛容な仲間の一致はキリストのみがなし得た業に他ならない。戦後、66年の世界の歴史がそのことを証明しているではないか。アメリカの戦争の歴史を思う。戦後このかた戦争のない時代はなかったではないか。沖縄戦のシュガーローフでの米軍の犠牲者は多く、その戦後処理は今も続くという。イラク、アフガンなどの紛争もまだ続く。その軍事費たるや天文学的数字であり、今のドルの格下げに続く。世界経済への影響も大きい。ここで「よそ者」、「異邦人」などの差別は排除され、「隅の首石」、「かなめ石」たるキリストによりすべての民が一つにされるという。「キリストはアルファであり、オメガである」ということになる。そこに世界平和の根源はある、というのが聖書のメツセージである。

 


2011/8/7 新しい存在へ(創世記32:23-33)

神顕現体験  

兄エサウの復讐におびえるヤコブの前に「何者か」が現れる。一晩中ヤコブと相撲をします。ヤコブは一人、兄の怒りをなだめようと算段します。その場に「何者か」が現れ、ヤコブと組打ちするのです。それが神なのかどうかは不明です。しかしそれらしきことは推測できます。ただ最後までその正体は明らかではありません。 31節によれば、それらしきことが推測されるのです。預言者ホセアによれば、「何者か」は「神の使い」とされています。(ホセア12:4~)。

出会いと神顕現という宗教体験は予期しないところで起こります。われわれにもそういう体験はあり得ることです。否、あるでしょう。ヤコブもどうも「何者か」は神であるとして畏敬の念を抱いています。その神顕現の場を「ペヌエル」(神の顔)としていることから読み取れます。

ヤコブという男  

格闘の詳細は書かれてはいない。このヤコブとはどういう男なのであろうか。彼は神と兄への恐れがある。しかしそういう神経戦のなかそのどちらにも自らの地歩を固めようとしているのが分かる。その人は格闘に負けその場を去る。もし神との格闘であるとすれば、このヤコブとは何者か。尋常な物語ではない。その人とヤコブは取引をする。お互いに名前を明かすこと。しかし身分は明さないままヤコブを祝福して去る。「名前をイスラエルとしなさい」と。要するに、人を愛することと神を愛することが結びあわされている。


新しい存在へ  

イスラエルという新しい名前をもらったヤコブは新しいライフスタイルを歩むことになる。生の意味と生活の仕方が変わる。意味ある人生とは何か。個人と社会の絆のなかで人格は形成されます。人は一人では生きられないのです。一人ではないのです。律法の生活は禁止だらけです。そこに自由はありません。福音にふさわしい生き方は、人間を解放し、聖霊の力で満たします。神学的に言えば、これは神によって生きる「生の芸術」です。(モルトマン)
キリスト者とは「生の芸術家」なのです。わたしたち自身がそれをするのではありません。神の力によるのです。ヤコブにもあの「何者か」がはたらくことになるのです。われわれ自身が「マイスター」でなく、神がマイスターとなるのです。ここにあの「似姿」があります。

 


 

2011/7/31 インマヌエル(創世記28:10-22)

策略の落とし穴

ヤコプは策略の落とし穴にはまりました。自業自得と言えばそのとおりです。ヤコブは夜盗や野獣の恐怖におびえながら逃亡生活を送るのです。逃亡者の一人旅は当然、厳しいものです。現代のホームレスにダブります。一度だけ、釜ヶ崎の現場を訪問したことがありますが、それは言葉を失う位でした。1983年のこと。今も支援カンパを送りますが。

母リベカは兄ラバンに託します。しかしかの地で待っていたのは、抜け目のない叔父の仕打ちでした。その叔父の娘ラケルと結婚させられました。14年もただ働きさせられました。ここからわれわれはどういう教訓を学ぶのでしようか。


インマヌエル

ヤコブは石を枕に今風に言えぱ、ホームレスとなります。逃亡者としての生活の始まりです。そこで夢に神顕現を体験するのです。
「あなたとあなたの子孫に祝福を与える」というものでした。出会いと宗教体験とは予期しない場所で起こります。シェークスピアの「ロメオとジュリエット」の一場面にある光景がある。読みます。ここでわれわれはこれは原始宗教の問題としたいかも知れませんが、主権は神にあることが大前提です。その神が逃亡者の人生に介入されるのです。これは驚異であり、神秘、ショックです。釜ヶ崎のホームレスの現場を訪問したことを思い出します。現代史にダブる思いです。

物語から学ぶこと

朝目覚めてヤコブは神顕現の場所に記念碑を建てる。「べテル[神の家]」とよぴます。翻って言えぱ、現代のわれわれにもその神の家はありますね。共同体としての教会であり、信ずる者の群れです。ここでイエスの教えを思い、受肉の信仰に思い至るのです。インマヌエルの信仰です。「見よ、新しい地平を開く」というのです。その神にわれわれも信じて従いたいものです。そして安息と慰めの約束に与りましょう。



2011/7/24 賜物と争い (創世記25:27-34)

ここまでの経過

イサク、リベカは双子を生みます。その双子はすでに母の胎内で争います。リベカが神に訴えると、「兄が弟に仕えるようになる」と神は答えます。それから兄弟で長子の権利をめぐる争いが始まるのです。これは両親の兄弟に対する偏愛が原因です。いつの世にもよくある話です。やがてそれは家庭崩壊につながります。父イサクは肉食好きで狩人になった弟エサウを愛します。ここには明らかに不調和がある。神学的にどう理解するかです。誕生とは神の賜物であり、奇跡です。ロマンチックな敬虔に挑戦する聖書のリアリズムがあります。ここははじめから争いに招かれているように見えます。賜物と争いという不調和があります。

賜物と争い

おだやかなヤコブと強欲なエサウとの争いの物語どう展開していくのか。性格の違い、生活環境の違いがあります。そのことはこの物語で鮮明です。物語は煮物と長子権をめぐる争いです。聖書物語で煮物とはダジャレにも読めます。ここは物質的なものと精神的なものとの対比として読むのではなく、どちらも歴史的、物質的なものです。その対比は物質的祝福と賜物である繁栄との差である。兄が空腹で帰宅したのだから煮物を食べさせたらよさそうですが。信仰とは、言葉や口先だけではだめです。そこに神の愛はありません。「おこないをもて互いに愛し合う」(第1ヨハネ3:17)ことが肝要なのです。

エサウに学ぶ

エサウにも同情すべき点はあります。とはいうものの彼に甘くはありません。ヤコブの強欲は責められるべきですが、エサウの軽率さも問題です。新約ではこの物語で大事な解釈をしています。1.は「パリサイ人のパン種」とは煮物の変形である、と。煮物ぐらいで信仰をないがしろにすることはないか、と問われているのです。2.正当性のないものが神のご意志の後継になることもある可能性があるということ。「わたしはあわれもうとする者を憐れみ、恵もうとするものを恵む」とあるとおりである。その背後にあるものを説明しようにもその先は神の領分ということである。義認は神のなさる業であるから。そのことがこの物語がわれわれに教えていることである。

 


2011/7/17  宣教(マルコ16:9-20)


弟子たちは、復活の証言を聞いても信じようとしなかった。イエスの十字架の出来事に打ちのめされて立ち上がれないでいたのである。弟子たちの理想とするイエス像、キリスト像に「十字架」は想定外であった。それが弟子たちの立ち上がれない理由である。

この神の十字架に対する「驚き」は、キリスト者となる上で非常に大事な部分を占める。私たちは、神の十字架に対する「驚き」はいかほどのものであったか? 唯一神という基盤のない私たちには唯一神の国における神の十字架、神の死という出来事の「驚き」とは、違いが出てくるものであろう。パウロが十字架の主に出会うとき、目の前が真っ暗になるほどの驚きを受ける。そして復活を理解する時、彼は目からうろこの回心へと導かれるのであった。弟子たちもまた、復活のイエスに出会うことにより、生まれ変わったかのように変えられていく。後に殉教をも惜しまぬほどに、イエスを宣教する者とされていく。

私たちは改めて、「神の十字架」への驚き、「神の復活」への喜びがどうであったか、問われる必要があるかと思う。

18節の言葉をどう理解すべきか? 「手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも害を受けず……」。今朝の箇所は、後に加筆された部分とされる。その背景には、キリスト教がこの世に宣教する中で起きた迫害の歴史がある。キリスト教徒であると分ると、捕らえられ拷問を受ける。しかしそのような迫害を受けてもなおキリスト者は増え続けた。多くのキリスト者が補らえられ殉教する中で、18節はこういうことばではないか。キリスト者は、蛇にかまれる拷問を受け、毒を飲まされて殺されていったが……しかし、イエスの言う《信じる者は,死んでも生きる》との復活の信仰から、「手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも害を受けず……」という言葉への希望を見いだしていったのではないかと。

宣教とは、十字架の苦難にキリストとともに立ち、復活の希望にキリストとともに与るということである。主イエスは私たちにも語っておられる。《すべてのつくられた者に宣べ伝えなさい》と。(神谷)

 


 

2011/7/10 祝福の神学 (創世記26:15-25)

破られた契約  

ペリシテ王アビメレクは、イサクの父アブラハムが掘った井戸を埋め、イサクの追い出しをはかります。王は父アブラハムとの契約を破棄したのです。水は言うまでもなくいのちの水ですから、生存権の剥奪です。これは個人的な問題でなく、民族間の抗争を意味します。水利権の争いはどこにもいつの時代にも起こることです。イサクは平和の人です。自らが平和的に生きるのみでなく、隣人にも平和をもたらす祝福の基でもありました。
これは実際の歴史的背景があるようです。イサクは心理学的に言えば「息継ぎの場」も「生の空間」も奪われたのです。今も世界のここそこである歴史的現実でもありますが。イサクは結局王の追放令でゲラルの地を去ります。しかし神の「この地を与える」という契約があります。

理不尽への抵抗  

イサクは先の神の約束もあり、泣き寝入りしません。
ここでわれわれはイエスの教えの「いのちの水」の教えと神学的に関連させることができるでしょう。ヨハネにも水への言及もあります。ヨハネ4章参照。ここは神学的主張とこの世のリアリティーが一点に集中しているのである。ここは与えたもう神と賜物との両方がある。イサクはこうして最終的は殺し合いになるのを避けたのであろう。
平和主義はえてして差別にもつながりかねません。例えば、平和憲法と言いながら、「日米安保」という矛盾を抱えていますね。その負担が沖縄だけに集中していますね。我々がこの理不尽に抵抗するのは当然でしょう。

祝福の神学  

26章はイサクの寄留民物語として展開している。飢餓から水の問題へと展開した。当初は約束の子は危機にさらされている。しかし終わりは祝福されている。ここには祝福の神学がある。そうでなければここの聖書物語はただの苦難物語である。この世界を肯定する創造主への感謝の祝福の神学として終わる。
われわれはどうか? 人生の理不尽に遭遇したときどうするだろうか、と問われているのではないか。この物語には、祝福された世界の良さを告知し、いのちにあふれるこの世界の祝福へ思いを馳せるようにと促されているのである。人生の苦難や理不尽に失望してはならないのである。東北の震災被災者にもそう伝えたい。終わりには「祝福の神学」があると。

 


 

2011/7/3 生命の根源たる神 (創世記119:105-112)

神の招き

ここはこれまで学んできたアブラハム物語のなかでもっとも神学的には過酷な物語と言われる。そこには信仰とは何か、創造主としての神ご自身との関わり方について鋭い問いがあるから。
もちろんここには物語のドラマチックな解決があることはある。われわれは良く聖書を読む時にそういう経験があるのではないか。聖書にはそう書かれているが、違うのではないか、と言う思いを抱くのである。ここではアブラハムは信仰の人、神の約束に信頼する人として描かれている。それは彼の割礼の受容とイサクの誕生として結実する。

ここはただの家系物語ではない。余談であるが、名護家は馬氏門中では宗家は小禄殿内と言う。元祖は奄美侵攻のとき首里派遣の武将與湾大親(うふぬし)である。薩摩侵攻時の三司官良豊3世、分家の良保9世は古典音楽湛水流の奏者がいる。本家はいまはない。我が家も三男。これはただの家系物語である。大事なのはそこにどういう歴史を読むか、ということであろう。

よびかけと応答

ここで神はなぜ息子をいけにえとして捧げよ、と言われるのか。最後はその要求を何故取り下げたのか良く分らない。構造的に見れば、神の摂理と人間の信仰と信頼が問われている。そこには歴史の中の神と人との本気の展開がみられるということでもあろう。カギは「神備えたもう」であり、それに対する人の「信頼する」である。普段のわれわれの信仰生活のなかで良く経験することでもあるが。


神の配慮と保全


ここでは神とアブラハムの相互作用もみられる。人は神の言葉の前に立つ。自分が神の言葉による創造であることを承知している。彼には神の言葉への論争、遅延、抵抗する理由はない。しかしカルバンとルターは神の命令と約束は自己矛盾である、と言う。
大事なのは、神は神であり、いのちの根源であるという厳粛な現実に直面させられることである。大震災にしろ然り、なぜ神はこうした苦難を与えるのか、と誰しも思う。信仰とは、神の自己矛盾に直面し、応答することに他ならない。
と同時に「然り」と応答することでもある。礼拝出席するからいいさ、聖書読むからいいさ、とはならない。ただ「然り、神がそうされる」となる。いのちの根源たる所以。いのちの根源者としての「配慮と保全」があることも事実である。

 


 

2011/6/26  一心にいのちを思う (創世記19:14-26)

ソドムの町  

ソト゜ムの町に悪があり、神は町も人も自然もことごとく滅ぼすことを意思しました。そのなかでロト一家は命を求めて逃げよ、と神から促されました。聖書には良く原因譚が出てきます。そこから人々の生活の中でいろんな問いかけから出てきます。それは人の生き方や神への信仰のありようを学ぶためです。この物語では、なぜ繁栄していたソト゛ムとゴモラは滅亡したのか、なぜ後ろを振り向いたロトの妻とされる「塩の柱」があるのか。神の使いは、大きな叫びが神に届いたのでソドムの町は滅ぼされる。逃げてきたロト一家は所詮よそ者であり、旅人としてもてなされない。今大震災で多くの人が避難所生活などで苦難を強いられているが、全国からのボランテイアが支援している。絆は回復しつつあるように見えるが。


夜明け頃  

19:15は神のぎりぎりの忍耐をあらわしているという。滅びの決断しながらも神はぎりぎり忍耐される。人に猶予を与えるのです。ロトは滅びの町から逃げよ、と促され躊躇する。み使いは彼らの手を取り逃げるのを手助けします。主のあわれみのゆえです。ここではロトが決断も行動力もない人物として描かれている。ロトはこの期に及んで゛取引を始めている。み使いたちはいらだっている。そのロトらを「手を取り」「連れ出している」のである。その後、ロトの妻は、「振り返るな」というみ使いたちの言葉にも耳を貸さず振り返ったために「塩の柱」とされたというのである。
一心にいのちを思う  「慰霊の日」は、どうすごしたか。私は2,3日前に平和公園へ出かけた。島守の塔に合祀される叔父と礎に刻銘されている祖母、叔父父子4人の慰霊のためである。戦争とは何か、何故負ける戦争をしたのか、いのちはどんなにあの戦争で扱われたか、ロト物語ではないが、

一心にいのちのことを思う

こころがあるかと今問われていないか。大震災の犠牲者のこともある。今、この国でまたぞろいのちを粗末に扱う風潮はないか。政治の要諦は何かとも問われている。ほんとうにいのちを一心に思う心を大事にしたい。沖縄の戦争体験も時と共に風化しつつあるとも懸念されている。体験者の高齢化も一つの理由ではあろうが、沖縄の地に生きる者としての使命でもあろうから。
歴史を変える戦いは人間を変える戦いである。

 


 

2011/6/19  剣を取る者は剣で滅びる (マタイ26:47-56)

キリストの受難  

イエスの逮捕、殺害計画が進み、弟子団の一人ユダが関与している。ユダの裏切りと手引きによる。そのさまを見ていた一人が剣を抜く。ヨハネによれば、それはシモン・ペテロ となっている。直情径行の人らしい。その時です、イエスが「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と(52節)。これはイエス十字架の道行きの一こまです。そのあと主は不思議なことばを発します。父なる神にお願いすれば、「12軍団の天使を今すぐ送ってくださる」と。これは苦難と十字架を避けようと思えば避ける道はあることを示唆しています。しかしそうされませんでした。


十字架の道行き  

ここから十字架の道行きの始まりでした。預言は成就されねばならないということです。あがないの死としての道を主は選ばれたのです。ここには神の必然性が見えます。私たちの罪のために代わって十字架に上ることになるのです。苦難と十字架を回避する道を選ばなかったのです。主は時の権力によって、ローマ総督、ユダヤの祭司長、長老らによって殺されます。つまり権力が勝利したかのようです。「力は正義なり」と言いますが、しかしそうはなりませんでした。結果は、キリストの復活という勝利に終わったのでした。「キリストは私たちの平和であります。十字架で敵意は滅ぼされました」エペソ2:14-16。


平和への戦い  

敗戦から66年。名護は9歳、那覇の甲辰国民学校2年進級まえに10.10空襲で被災し、一般疎開で大分に母と妹2人で疎開、沖縄には県庁勤務の姉と郵便局勤務の父、祖母が残る。
後に敗戦と共に、大阪出稼ぎ中の兄2人、宮崎へ学童疎開中の兄、姉が合流する、8人の大所帯となる。在家僧侶の大家の6畳2間が生活空間である。生活は自給自足。戦時下故ゆえ沖縄からの送金はない。農業と母の内職が頼りである。
何故に日本は負ける戦争をしたのか。沖縄伊江島の阿波根昌鴻さんの戦後の基地闘争は良く知られています。60年安保闘争から今日まで過重な負担を強いられていますが、それにもかかわらず日米の政府は新たな基地負担をこの沖縄に強いようとしています。
これは憲法にももとることですが……。一体、こうした状況はいつまで続くというのでしょうか。

                 平和の礎 

 


 

2011/6/12  一つになる (創世記11:1~9 使徒言行録2:1~4)

今、テレビでよく耳にする“掛け声”として、「がんばろう、ニッポン!」「一つになろうニッポン」など、有名人が出て来て日の丸を掲げている映像を見る。もちろんこの言葉には、大震災で被害にあわれた方々を覚えて、復興へ向けて応援するためのキャッチフレーズである。ただどうしても違和感を覚える言葉である。

大震災のどさくさに紛れてと言ってもいいのかと思うが、大阪府の橋下徹知事率いる大阪維新の会が、「君が代の起立斉唱」を教職員に義務付ける条例案を提出し、可決された。1999年の「国旗国歌法」成立の際に、政府は「強制しない」と答弁していたはずであるが、今や法に基づき強制されるということが起きている。東京都と合わせて益々少数派の意見が消されて「ニッポンは一つ」という渦に巻き込まれているように見える。

今朝は、ペンテコステにちなんで聖書の箇所を選んでいるが、バベルの塔の話しも聖霊降臨の話しも、「一つになる」と言うところに着目点があろう。

バベルの塔の話は、世界中が同じ言葉を使って同じように話し、同じ目標に向かって邁進する。当時の理想的な社会を目指すかのように。3、4節で「さあ、れんがを作り、それをよく焼こう」「さあ、天まで届く塔のある町を建てよう」とは、当時の「一つになろう」というキャッチフレーズのようなものではないか。そして人々を駆り立て、理想的な社会を、人間の知恵、技術、総力を挙げて築き上げていく。≪石の代わりにレンガを、しっくいの代わりにアスファルトを≫用いれば、どんな高い塔でも築くことが出来る。そして皆で一つのところに暮らそうという何か理想的な町づくりのようだが、
・・・今で言うならば、石炭から石油、石油から原発へ、よりクリーンで格安なエネルギーを用いて、より良い暮らしを・・・そういう声にも聞こえてこないか。私たちもそういう便利な暮らしの中に押し込まれて、いつの間にか、そういうキャッチフレーズの中で、ここちよく生きている者ではないか。より便利に、より快適に、より刺激的に・・。バベルの塔には、そういう人間の性というべき、弱さを見せられているように思える。

人間がより高く、上へ上へと登ろうとする中で、神はより低く、下へ下へと降りてきてくださる。聖書に記される神の姿は、まさに人間の姿とは逆行するかのようにある。そこに神の愛と人間の愚かさがあることを覚えたい。(神谷)

 


2011/6/5 約束の虹 (創世記9:8-17)

洪水物語  

この物語は世界各地にあるとされている。特に、有名なのは、古代オリエントの「ギルガメシュ叙事詩」である。聖書の物語と良く似ている、と言われる。この地上に悪が氾濫し、神は人を創造されたのを悔いた。それが洪水の原因とされているのである。人の悪が原因となり、地上に広がるので、地上のすべてを洪水で洗い流そうとされたのである。現代世界の環境破壊の根源をここに見る思いである。

そういうなかで神はノアに命ずる。『箱舟をつくれ』と。命をつないで行こうと言うのです。神は創造の神であるから、今までのものをすべてリセットし、新しく創造し直すというこということも可能でしょうが、そうはされません。


約束の虹  

雲は神の臨在の象徴とされる。聖書で多用されています。旧約に多いですが。神は雲の中から語りかけ、雲の柱をもって導かれます。虹は「弓」とも訳されます。「虹をおく」は弓をそこに置く、つまり武力の放棄、暴力の放棄です。約束のしるしなのです。神が人間の悪にこぶしを振り上げた時、虹をみてこぶしを振り下ろすのです。

一般的には虹は七色とされますが、地域や民族の違いで異なるようです。色はいろんなシンボルに使われますが、しかし多様なものです。いろんな違いがあります。多様な性、多様な行き方があります。肝心なのは、未来に向けての新しい創造的意思です。東北の震災にしろ、ハンセン病問題にしろ然り。新たな未来の創造こそが求められます。虹はあらゆる意味でわれわれにも希望のシンボルです。

虹の物語ること  

空の虹を見るとき、神の深いご意思を見るのです。痛みや苦しみを担う人への励まし、慰めでもあります。それは神の約束のしるしなのです。神は二度と洪水をもって滅ぼすことをすまいと意思されたのです。それは地上のわれわれ人間だけではありません。すべての生き物への約束です。

時に、洪水とか自然災害の前では人間は無力です。今回の東北大震災は、そのことをわれわれに思い知らせるのに十分過ぎるほどでした。

 


2011/5/29  アベルとカイン (創世記:4:1-11)

ささげもの  

カインの名カーナーは、得る、形作る、創造する、と語呂あわせで喜び歌う、アベルは、ヘベルで、息、はかなさ、空虚さ、虚無とか、と言う意味から来ている。

『土を耕すもの』、『羊を飼うもの』の二人は、それぞれに神への捧げものを持ってくるが、アベルの捧げものは嘉納され、カインものものは顧みられませんでした。なぜそうなったのかは聖書にはありません。言うなれば、神の自由裁量によるものです。いろいろな理屈付けはしません。とにかく選んだのは神ご自身なのですから。

顔をふせる  

神の不条理にも見える仕打ちにカインは激しく怒り、顔をふせます。神は、「どうして顔をふせるのか」と問います。「顔をふせる、上げる」は関係性をあらわします。関係性の破棄か、保持かを意味するのです。理不尽に見える神の仕打ちに、何故ですか、と問うのは当然でしょう。神もこのことを良しとされています。神も問いかけを期待しておられるのです。決して神は強制されません。神はご自身が自由裁量にふるまわれるようにわれわれにも自由裁量を望まれるのです。良く信仰の押し付けとか信教の自由が問題にされますか゛、やはり自由裁量権が大事にされねばなりません。靖国合祀の問題もありますが。

カインの怒り  

ところでカインの怒りはおさまりません。そしてその怒りは神にではなく,弟アベルに向かうのです。弟を野原に連れ出して殺してしまいます。弟は競争相手であり、長子からすれば弱者の立場にあります。

人は見ていないであろうと思われた場所で暴力、殺人は行われます。しかし「血の叫び」は神に届きました。

先の「あなたはどこにいるのか」「なにをしたか」という問いと関連します。「知らぬ」「存ぜぬ」とはいきません。「関係ありません」とは言えません。もうすぐ6月が来ますが、沖縄の集団自決問題にしろ、国の戦争責任にしろ、靖国合祀問題も、だれも「知らぬ、存ぜぬ」、「関係ありません」と押しとうしていいのか、と問われる所以です。



2011/5/22  問いかけられる存在 (創世記3:1-13)

問いかけるもの

エデンの園には人間に必要なものはすべて備えられた。そこに一本の禁断の木がありました。他のどの木からも取って食べてよいが、善悪を知ることができるこの木からは取ってはならないということでした(2:16--)。神に信頼し、応答できる者としての神から問いかけです。神の言いなりになるロボットという意味ではなく、蛇は「神が言われたのか」と女に問います。聖書で悪魔、サタンも神の創造の中の存在です。女は賢くなると言うので禁断の木の実を食べるのです。それを独り占めにしないで男にち分ち合うのです。こには人間の成長過程があり、神との信頼関係、人間同士の信頼関係が問われています。

賢くなる


人間は善悪を知りたいと、禁断の木の実を食べだいと欲し、その結果、自分たちの裸であるあることを知りことになります。「裸」は神の創造の本来の姿でした。しかし結果はイチジクの葉で裸を隠すことになります。彼らは園を歩まれる神の足音を聞き身を隠します。神の命に背いた者の反応であり、神と自分たちの違い、対等でないことを知ることになるのです。
ヘビは賢いものとして「問いかける」ものでした。問いはさらに問いを生みだします。答えは出るとそれで終わりですが、さらに問いは問いを生むのです。しかし、その問いにどう答えるかが責任の取り方に繋がるのです。これは今度の原発事故でも言われまし。誰がこの責任を取るのか、さまざまに議論されていますが、責任の取り方はあいまいなままです。だれかが責任を取らなけれぱならないのです。


あなたはどこにおるか?

神は問いかけます。「なたはどこにいるか?」「あなたは何をしたのか?」組織とか共同体ではとかく責任の所在があいまいにされます。無責任になるのです。よく一億総無責任時代とも言われました。しかしそれでは国は成り立ちません。崩壊の危機に瀕してしまうのです。信仰あるものはその責任の取り方を神によっで示されています。宗教の果たす大事な役割がここにあります。神の創造の所産としてのあり方です。われわれというのは常に自分の立ち位置を神から問われるのです。「どこにいるのか」と。



2011/5/15  バラバ (マルコ福音書15:6—15)

群集はなぜイエスでなく、バラバを釈放してほしいと願ったのか?
聖書に祭司長たちが、「バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した」とあるからであろうが、ただ群集にとっては、イエスもバラバも、さほど変わりのないこの国を先導する革命家の一人に過ぎなかったということであろう。群集は、イエスのみ腕に期待し、力強い姿にこそ、真のキリスト像を思い描いていた。しかしイエスの姿は「ほふり場に引かれる小羊」のごとくでしかなく、そこに希望を見出し得なかったということであろう。

ところでバラバとは何者か?聖書には余り多くは記されていない。マルコ福音書では、「暴動の時の殺人者」とあり、ヨハネ福音書では、「強盗」と記されている。おそらくローマへの武力抵抗を訴えた熱心党の一員だったのではないか、と考えられている。バラバについてはいろいろな作品がある。実はこのバラバには、ある伝説があるのだが・・・・・・

“バラバがローマの犯罪者として捕らわれて、いずれ十字架刑に処されると覚悟を決めていた矢先にイエスと言う男が自分のかわりに十字架刑に処された。その後バラバは、その方がキリストであることを知らされる。でも何故キリストがあのようなみじめな死に方をするのか自問自答する。
ただ事実として言えることは、本来なら自分が負うべき十字架をイエスというお方が背負って下さった。自分が死ぬべきあの十字架をイエスというお方が身代わりになって下さった。その事実は変わらない。バラバはその時、涙を流し、イエスをキリストとして受け入れていく。”

伝説によると、バラバはキリスト者へと回心し、迫害が伴う時代の中でキリストを宣べ伝える者となった。彼は再び捕らえられてイエスと同じく十字架刑に処され殉教したと伝えられている。(神谷)

 


2011/5/8 独りは良くない(創世記2:18-25)

土の塵から  

先に人間は神の似姿としてつくられた存在であると、学びました。2章は、その人間は、土の塵からつくられたと語ります。時は紀元前10世紀ころダビデ王朝時代の物語とされる。1章も2章も時代も背景も違うのに、違う資料が編集され、同時に語られるのですが、創世記はそういう幾多の資料から編集された書物なのです。古代の書物ですからむりもないのですが。要するに編者は人間存在の意味をかたりたいのです。『土の塵』アダマーから,陶器師が土をこねて器をつくるように。ただの土くれから命の息吹を吹き入れられ生きるものとされたのです。エデンの園に置かれ、耕し、守る勤めを与えられます。良き管理者として。人類の労働の始まりです。現代の資本主義体制のもとでの複雑な労働問題の始まりです。基本はここにあります。独りは良くない。 

つまり人はいろんな関係性の中で生きる存在であるというのです。神はいわれます、「人が独りでいるのは 良くない」と。そこでいろんな自然の存在とかつくられるのです。最後に、男性、女性 の性別をつくります。「ふさわしい」とは、「向き合う」という意味です。つまりパートナーということです。向き合うのは他の生き物ではないのです。人間同士ということです。趣味仲間でもないのです。遊び相手でもありません。ヘブライ語に即して言えば、「良き助け手」「同伴者」「連れ」という意味です。

骨の骨  

人は地を耕すことで糧を得、生き物には名前をつけることで支配関係に立ちます。神が人を創造された時、専制君主のように振舞うのでなく、責任を与えて自由自主の存在とされてように人も他の生き物や存在に対して同じように振舞うのです。そこで人には「ふさわしい助け手」が求められます。それがここにある「骨の骨」の物語です。ヘブライ語で「イシャーとイシュ」と言うのです。イシュ男、イシャー女という性別の誕生です。頭や足の骨ではなくあばら骨からつくられます。なぜあばら骨かと言えば、そこに人の魂は宿ると考えられたからです。現代医学では魂は脳にあり、とされますが、それは人の脳は人の存在の根源だからでしょう。すべては脳に発するからです。聖書はそれをあばら骨としたわけです。「骨の骨」だからです。



2011/5/1 神は良しとされた (創世記51:12-19) 

光あれ

創世神話は世界中にあります。それぞれの歴史と文化の中で、人間や世界はどのようにして存在するに至ったかそれぞれの思想、信仰をこめて継承されてきたのです。創世記の創造神話は、時代も状況も違う二つの物語の組 み合わせで(1:1-2:3と2:4-25)、神と人間、世界の関係を物語ろうとしたもの です。1章はユダヤのバピロン捕囚の紀元前6世紀のものです。国破れて山河 なし、民族もてんでバラバラになり、神も異教の神々に負けたかと思われる時 にこの創世記は書かれています。絶望と混乱の中から希望のメッセージとして 書かれています。かさねて言えぱ、今、100年に一度とも言われるこの国 の国難ーのなかでそういうメッセージが語られねばならないでしょう。それほ政治の役割でもあり、また宗教の果たさねぱならない役割でもあるでしょう。

神の似姿としての人間

「創造」(バーラー)というヘブライ語はもっぱら神の 創造行為に使用されるものです。何か資材を利用する揚合は「アーサー」とい います。神の言葉で混沌に光がさすのです。また「創造」には「分ける」「芽生えさせる」「生み出させる」などの意味もあります。バビロンの 宗教観では天体も神とされましたが、聖書では天体も神の創造によるとされる。 創造の最後に神の似姿としての人間が創造されたと強調されます。つまりそれ ほどに人間とは尊厳を持つ存在と強調されるのです。現代の人間の姿を思うと、 どうなんでしょう。

神は良しとされた

神は天地万物を創造され、『よし』とされました。 そして「生めよ」「増えよ」「地に満てよ」として「よし」とされたのです。 今、その神の良き創造に果たして沿うているのかがとわれますね。バビロン捕囚で 国破れ、民族がバラバラになった状況下で民が聞いた神の希望 のメッー}ジだったのです。「支配する」は専制君主を思わせますが、そうい う意味ではありません。われわれ人間が他の被造物を足蹴にしてはいげません。 そんなことを神が意思されるはずはありませんから。ここでは「仕え、守る」 ということです。神と人、人と人、人と他のほかの生き物との良き関係性のな かでの共生が言われているのである。



2011/4/24   主と歩む (マルコ16:1-8)             

安息日の壁

 ここに登場する女性たちは、イエスの宣教のスタート地点ガリラヤから十字架まで従ってきた人たちです。十字架を見守り、その死のさまを見取り、墓へ遺体が納められるのを見届けました。安息日は、金曜の日没から土曜の日没までです。安息日は仕事ができません。遺体は香油を塗らないまま安置されました。そこで香油を塗るため女たちは朝早く墓にやってきます。さて墓の入り口の石をどうするか、気がかりでしたが「石は転がされていた」と言います。つまりこのマルコの書き方はいかにも復活の奇跡を言うためです。つまり復活はあくまで奇跡として表現するためです。マルコ書は本来8節で終わっていますが、後世いろんな写本で9節以下は補足されたとされています。やはり奇跡を強調するためです。

ガリラヤでの再会

16:8は「何にも言わなかった」で終わっています。これもいわくがありそうな表現です。これは「震えと茫然自失」ということです。ここに復活信仰が後世に議論を呼ぶ原因があるのです。あくまで奇跡にしたいのです。大事なのは、ガリラヤで再会できる、つまりそこに行けば生前のイエスのいろんな追憶がある。イエスの生き様に触れることができる、つまり主と共に歩むことができる、もはや信ずる者は一人ではない、共に歩む方がおられる同行二人です。そのことが復活信仰の意味です。ローマカトリックは法王の詔勅で神学者の学説まで拘束し、あくまで復活の奇跡性を保持しようとしますが、最近はそうでもないようです。問題は、わがプロテスタントです。自由自主であるはずが、カトリックより両極端があるのですから。

イエスと共に歩む

イースターの真意は同行二人にあります。辺境の地、周辺の地ガリラヤに始まったイエスの宣教と癒しの働き、そしてパウロがローマに向かうダマスコ途上での復活の主との出会いがあり、キリスト教は世界宗教への道を歩むことになりました。イエスが教祖とすればパウロはまさにキリスト教の開祖ということでしょう。われわれキリスト者にとっては、以上のような意味でガリラヤとローマは現代でも大切な意味合いを持っているといえるでしょう。 


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